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丸善の店じまい

2012-06-18

中日新聞は5月22日の朝刊一面で「丸善、丸栄に移転」と報じました。丸善・名古屋栄店は入居ビルの建替えで移転を迫られていたのですが、2012年6月24日(日)に現在の店を閉じた後、道をはさんだ東隣の丸栄百貨店の6-7階へ、この秋移転する、という記事です。

このニュースを聞いて、どれだけ多くの人がほっとしたでしょう。

「丸善がどうなるのか」は、このところ一部の人にはかなり関心のある話題でした。だからこそ一面だったわけです。自分のまわりでも、気になっていた知り合いが何人もいました。

ほっとしたものの「丸栄ってどうなの」と考えると、見通しは、はっきりしない。丸栄は老舗の百貨店であるが、業績不振のため現在は医薬品製造の興和が親会社となっている。広小路通の向側にある栄町ビルとのツインビルの構想が持ち上がっている。また丸栄(本館)は建築家・村野藤吾の設計で1953年(昭和28年)に竣工、国内で権威のある日本建築学会賞(第5回)を受賞した価値ある建築で、東郷青児によるエレベータドアでも有名だ。簡単に壊せない気もする。

6月24日に一時閉店する名古屋の丸善は、1933年(昭和8年)3月からこの地にありました。

昭和7年に出版された『百万・名古屋(島洋之助著)』に次のような記述がある。「丸善書店は和洋書を見るインテリー讀者、學生で何時も一杯だ。(p187)」とあり、翌年に新築される予定地については「靑いペンキ塗の板塀は安田信託用地と、丸善建築用地で、寂しく見すぼらしい。早く建ち並んで貰ひたいものである。」

今のビルは戦争で焼け残った店舗を新築して、1965年(昭和40年)10月6日に開店した2代目の建物です。

さらに一番はじめまで遡るなら138年前、岐阜県出身の丸善創業者・早矢仕有的(はやし・ゆうてき)が医学の修行した名古屋に店を出したのが、1874年(明治7年)です。創業の1869年(明治2年)から2年後の大阪、3年後の京都につづく支店でした。当時のメインストリートの、名古屋城から熱田神宮つまり東海道(宮の宿)へつながる本町通りにありました。

本町通りの2本西の通りの長島町には、有名な貸本屋大惣が1899年(明治32年)まで店を構えていた、そんな頃です。

明治以来、名古屋の知的な文化をはぐくむ役割を、丸善は果たしてきています。
私が知っているのは、この30年くらい、より身近なのは15年ほどですが、ほかとは違う特別な存在です。

本(よく言われるのは専門書)と、文具は、もちろん定評がありますが、とくにコミックを常備しない方針は店の品格を表すものでした。それからやはり洋書。これだけの洋書売り場は、名古屋では丸善だけです。ほかにも、普段はとても手がでない洋品売り場と、古本市や作家のサイン会、原画展などに出かけたギャラリー(画廊)があって、もっと前にはクラフトセンターがありましたね。イベントでは、どこも企画できない落語会が突出していた。図書館で働くようになってからは、売り場より上の階に、もうひとつの顔があることを知りました。図書館員が集まる催しや研修などもありました。

こうした様々な側面が私の中で混ざっているから、良い書店、好きな書店というより「単なる書店ではない」という価値が、丸善という名前に含まれています。良い悪い、好き嫌いと別に、名古屋の繁華街・栄には、丸善があって欲しい、という気持ちが強いのです。

単なる書店ではないといえば、名古屋が発祥の「ヴィレッジヴァンガード」がある。裏丸善のように見えるのは私だけ?

ところがある時期から会社が傾いてゆく。現場は必死だったはずだ。しかしがっちりした組織が非効率に向かって進み、好転しなかったのだろう。とうとう2000年代、こんなことになってしまった。

  • 2000.3 丸善名古屋ビルを売却
  • 2005.8 産業再生法の認定を受ける
  • 2005.10 京都河原町店が閉店
  • 2007.7 大阪心斎橋そごう店が閉店
  • 2008.8 大日本印刷の子会社となる
  • 2010.8 丸善書店株式会社を設立

お店は「丸善書店」という名前になりました。売り場の上階にあった「丸善」の事務所も、一つ隣の地下鉄駅・伏見の方へ引っ越しました。
そして店じまいまで1ヶ月となった時期に、新聞で皆が知ることになったのです。

4階の洋品売り場は一足先の6月3日に閉店。オリジナル靴も製造中止だそうです。「丸善の洋品」は幕を引きました。メガネサロンも6月12日で営業終了です。文具でもオリジナル商品の廃番があります。

まずは洋品が閉まる前に、と思って、5月の最終週に出かけました。広小路通り側の入口の前で、何枚か写真を撮って、店に入りました。こちらは文具売場の入口で、文具も在庫セールと聞いていたからです。
一歩足を踏み入れたら、とたんに複雑な気持ちになりました。
いつもの店ではありません。商品の配置がおかしいし品数がスカスカ、レイアウトも少し変えてあります。頭ではわかっていましたが、ものすごく動揺して、戸惑ってしまった。

地域の拠点であった書店が各地で閉店するニュースを見聞きしていたのに、実際の店じまいに居合わせたこともあるのに、閉店セールをする丸善を、正視できなかった。そそくさと洋品の売場で普段使いの財布を買って店を出ました。それが精一杯。

でも、これもすぐ気付きました。売場の人は、こんな辛さじゃないだろう、と。売る本(品物)がない売場での仕事は。
48年前に丸善名古屋ビルを作って開店、自分からビルを手放し、今そこから退去しなければならない。
丸善の人はどれほど残念だろう。

次の週には少し落ち着いて買い物をしました。

そう、落ち着いて年表を見ると、これまで何度も移転しています。さらに1884年(明治17年)から1922年(大正11年)までは名前こそ続いたが、他人のものでした。
今はそれと同じか、もっと悪い(良い)のかもしれない。でも困難を乗り越えた過去を知っている。親会社など組織の具合はわからないけれど、再びヘンなことになりそうだったら、丸善には立ち返る伝統がある。

とくに名古屋では、80年、まったく同じ場所に店を構え続けてきました。これこそが明治以来の「丸善文化」に愛着をもつ人を育み、そうした人がもつ絶大な信頼の根っこではないか。このつながりを維持するためにも、将来、路面店での復活を夢見ています。

未来は開かれていると信じたい。

『丸善百年史』などから、名古屋関連をいくつか拾ってみました。
  • 1874(M7).8 丸屋名古屋支店(書店・薬店)を開設【本町8丁目9番地=現・中区錦二丁目13番】
  • 1879-80(M12-3)頃 移転【本町2丁目68番地=現・中区丸の内二丁目】
  • 1883(M16) 移転【京町1丁目72番地=現・中区丸の内三丁目12番】
  • 1884(M17).5 丸屋銀行の破綻にともなう整理として経営譲渡(早矢仕→村松彦七→野崎覚次郎)
  • 1912(M45) 移転【中区栄町6丁目=現・栄三丁目5番 名古屋三越の場所】
  • 1913(T2).4 名古屋丸屋書店を合名会社に改組
  • 1922(T11).3 名古屋支店開設=名古屋丸善商店(1884に譲渡した会社)を買収
  • 1933(S8).3 社屋が新築落成、翌日開店【中区栄町3丁目5番地=現・中区栄三丁目2番 現在地】
  • 1945(S20).3 アメリカ軍の空襲で一部被災、附属別館が全焼
  • 1946(S21).12 復旧工事が完成
  • 1947(S22).5 名古屋に支店を設置(組織改編)
  • 1956(S31).12 名古屋駅前の名鉄百貨店5階に、名鉄店を開設(1961.5 廃止)
  • 1963(S38).8 増改築のため移転【中区大津町4丁目23番地ライオンビル1-4階】
  • 1965(S40).9.30 丸善名古屋ビルが新築落成(安田信託銀行と共同)
  • 1965(S40).10.6 開店【現在地】
  • 1978(S53).11.2 セントラルパーク地下街に、丸善ブックメイツ名古屋セントラルパーク店開設(2005.11 丸善へ運営移管)
  • 2000(H12).3 丸善名古屋ビルを売却
  • 2012(H24).6.24 ビル立替えに伴う移転のため一時閉店
  • 2012(H24).秋 丸栄百貨店に開店【中区栄三丁目3番1号 丸栄6-7階】

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