★ とつぜんスイス紀行 ★

28-Aug-2000

よくわからないうちに,スイスに行くことになっていた。いつも以上に直前が慌しくて,あわてたためにクレジットカードを置き忘れたり,財布をカバンのどこにしまったかわからなくなったり,バタバタしていた。成田空港での乗り換えもわかりにくかった上に,航空会社の窓口がとても混乱していて,不安に拍車がかかった。
それでもともかくパリまでたどり着き,またそこで乗り換えたが,そういえば,シャルル・ド・ゴール/Charles de Gaulle空港って,ウサギがいっぱい住んでいたのではなかろうか。今回は見なかった。
なお,空港では,歴史関係の雑誌が並べてあり(旅行と歴史知識とがリンクするという発想はえらい!!),"Notre Histoire"というのが洞窟絵画を特集していたので,購入。けっこう綺麗。その後,ボーイング737でチューリッヒ/Zuerich着。そのまま空港近くのホテルへ。

29-Aug-2000

今回は,飛行機とホテルのみ手配してもらうというツアーで,しかも2名だけの催行。係員の同行は,着の空港から最初のホテルまで。電車のチケット(スイス・パス)を渡されて,後は気ままに家族だけで移動。おみやげ店巡りのロスがないのは有難い。
ヨーロッパを鉄道で旅行するというのは,うちの家族の長年の夢だった。私も国内では鉄道研究会所属の友人と時刻表旅行をしたことはあるが,海外では初めて。なかなか楽しい。
朝,ホテルのバスで駅(というか空港というか)まで送ってもらった。降りる時にホテルバスの運転士さんに,これから電車で移動だと言ったら,駅への裏口を教えてもらった。だいぶ助かった。職員通用口のような風情だったが,ほかの人も入ってきたので,けっこうメジャーな入り口ではあるらしい。
ところで,行きの機中では,はなみずがじょんじょん出て難儀した。着いた先のチューリヒの気候もなかなかに中途半端で鼻に悪そうだったので,駅でポケットティッシュのストックを買い込んだ。いかにもドイツ語圏らしく,紙ナプキンにもなりそうな質実剛健なものだった。実際,後でお弁当のときにずいぶん役立った。ちなみに,毎度のことだが,我が家の旅先での最初の買い物は,こうした日用品である。新婚旅行のときは,絆創膏だった。
スーツケースは,電車に乗る前に手続きをして,今晩の宿の最寄のインターラーケン・ヴェスト/Interlaken Westの駅に送った。荷物を手軽に身柄と別送してもらえるこの方式は,とても便利。

最初は,家族の強い希望で,ザンクト・ガレン/Sankt Gallenへ。そこの寺院は元は修道院で,その図書館はincunabulaのコレクションで有名らしいが,展示してあるのは写本ばかり。おそらく,網でガードされた書架の蔵書のうちの一部がincunabulaなのだろう。展示品は,ほとんどが羊皮紙。ここは楽譜の写本でも有名らしく,何冊(枚)か展示してあった。蔵書は,現代の図書も含まれている。現代の本は書誌学とか,この図書館そのものについてとかの本が多いようだが,ともあれ生きている蔵書であるということのようだ。背の破損した図書があり,造本について垣間見ることができた。
図書館には,若い日本人カップルが1組来ていた。シブいじゃん。図書館情報学科とか司書課程とかに所属している学生かもしれないけど。ほかには,ドイツ語しゃべってる高校生くらいの人たちが団体で来ていた。
図録や関連図書,およびスライドをずいぶん買い込んだ。ノッケからだいぶ荷物が増えたので,一緒にオリジナルの布バッグも買った。
そういえば,この図書館に入るとき,ちょっと戸惑った。ドアが施錠されており,呼び鈴を押す必要があったのだ。わからないままにじっと待っていたら,そのへんで休んでいた人が呼び鈴を押してくれたのでわかった。

ルツェルン/Luzernに一瞬だけ立ち寄った。蛙の巨大ハリボテ人形が街のあちこちにいた。蛙たちの人気投票を実施中らしい。
その後は,急勾配の路線を経て,宿のあるインターラーケンへ。
さて,インターラーケン・ヴェスト駅で荷物を受け取ろうとしたら,窓口の先客に,航空チケットの予約をしている老夫婦がいて,異様に時間がかかる。そうこうするうちに,6時が近づいた。スイスのホテルは,連絡なしで午後6時までにチェックインしないと,一方的にキャンセルされるらしいので,私だけ走ってチェックインしにいった。実際,6時5分過ぎについたら,ドイツ語なまりのきつい英語で"Everything is wrong"とか言われてしまった。必死で,団体じゃなく個人で来ていて,駅で荷物の受け取りに時間がかかっていることを説明した。まあわかってもらったらしく,許してもらえた。
泊まったHotel Chalet Swissは,部屋によってはユングフラウを眺望できるが,我々の部屋はハズレ。エレベータは,一般家庭用の介護関係エレベータみたいな華奢なもの。一方,出かけるとき,キーをフロントに預けるのではなく,ごつい部屋のキーを小さな外出用のキーに差し替えるシステムはおもしろかった。

この日のお昼は,ザンクト・ガレンの駅付近の屋台で,プレッツェルにハム挾んだのを買い食い。夕食も,インターラーケン・ヴェスト駅近くのkioskでサンドイッチを購入。

30-Aug-2000

ユングフラウ/Jungfrauまで早朝割引となる「グッドモーニングチケット」を使うため,朝6時頃にホテルを出た。サマータイムの6時なので,まだ暗かった。ちなみに,交渉はしたのだが,朝食は作ってもらえなかった。(だいたいどこでも7時からで,このホテルみたいな家族的なところでは,よほどうまく交渉したり相手が親切だったりこっちの人柄がよくないと,対応してもらえない様子だ)
電車はさほど混んでいなかった。(今回の旅行では,この後も,喫煙席しか空いていないことはあったが,一度も車内で立ったことはなかった。車内放送は,細かいところまで聞き取れないので,乗り継ぎとか,車両故障でバスで振替輸送になったときなど,ちょっと苦労した)

ユングフラウの天気は,まずまず。ただ,季節がら,氷河はだいぶ悲しかった。ユングフラウ・ヨッホ/Jungfraujochでは,せっかくなので,ちょっと離れた山小屋まで散策。ちょっと離れた,とはいえ,雪道なのでだいぶ時間がかかった。山小屋の温かいコーヒーはとてもありがたかった。
電車でも同じボックスに座っていた中国人カップル(たぶん新婚さん)と,山小屋への道中も一緒になった。このカップルは,インターラーケンを離れるときにも駅で遭遇し,だいぶおしゃべりした。(カップルのうち女性のほうが英語でたくさん喋ってくれたおかげで,コミュニケーションが楽だった)
雪は硬く,The Beatlesの映画"Help!"みたいにしようと思ったら,すごく痛かった。その雪の中でテントはって泊まっている人もいたが,寝ていると背中が痛いのではないだろうか。
山小屋からの帰路,雪がちらついていた。

この日も,インターラーケンの同じホテルでご宿泊。
ユングフラウからいったん宿に帰り,コインランドリーへ。コインランドリー近くに水門があり,氷河に由来する白濁した水が水門でエネルギーをためたあと,怒涛となって流れていた。

ところで,ユングフラウのご近所のアイガー/Eigerは,北壁の登攀で有名である。アイガーといえば北壁。これは,舌ビラメがムニエルの枕詞であるのと似ている。

31-Aug-2000

晴れたらハイキングという計画だったが,雨だったので,雨天時計画として,バーゼル/Baselとベルン/Bernを探訪した。
ベルンでは,まず小さな市場に立ち寄り,小ぶりのリンゴ,枝つきトマト,ラディッシュを買い込んだ。リンゴは旬の物のようだったのでずっとほしかったのだ。その後,旧市街を抜け,図書館の脇を素通りして大聖堂へ。ここのステンドグラスは鮮やかでとても綺麗だった。電車の時間が迫っていたのと,工事中だったことの両方から,すぐ帰路につく。ただ,帰路に,大聖堂近くで木製のおもちゃのお店を見つけた。なかなかよかった。

バーゼルでは,まず大聖堂へ短絡的に進む。大聖堂では,大雨の中,塔の上まで上った。階段の大半は屋内なのだが,途中で屋外を通らないと最上部まで行けないんっすよね。ちょうど一番大降りのときに屋外に出ることになって,悲しかった。しかし,塔の上から見た,ライン川を挾んだ街の景色はすばらしかった。雨天ということも手伝って,とてもよかった。
バーゼルはたくさん博物館があるそうだが,市立美術館とバーゼル歴史博物館分館のキルシュガルテン/Kirschgarten博物館とに行った。前者は改装中か何かで,常設展示も全部は見られなかったが,だいぶ楽しめた。後者は昔は金持ちの住宅だった建物で,建物そのものや昔の調度品も見所らしいが,今更グラバー邸みたいな展示を見てもなあ,と,やり過ごし,時計や羅針盤,それからドールハウスのコレクションに集中した。ジュネーヴ/Geneveの時計の博物館には行けなかったので,ここでガンバってまわっておいてよかった。

この日もインターラーケンに宿泊。

01-Sep-2000

インターラーケンのホテルを引き払い,トリュンメルバッハ/Truemmelbachの滝に行った。
谷あいのバスに乗って滝へ向かっているとき,氷河由来の川面に沿って,霧が出ていた。なんだかいいなあ。別段,日本でも見られる風景だろうけど,ともかく,気温がそう低くなく,川だけがキュンと冷たいということでそうなるのだろう。環八雲とは,似ていてだいぶ違う。当たり前か。
トリュンメルバッハの滝は,クレバスのような深い岩の割れ目の中を落ちる滝。それも,氷河から流れてくる大量の水が,轟音をあげながら,何段もに分かれて落ちているという名所である。写真をとっても何が何だかわからなくなるというのが珠に傷で,それだけに,自分の目で見る価値がとても高いということになる。
電車・バスやロープウェーからの遠景では,崖のあちこちで滝が落ちている。その中にはシャーロック・ホームズが転落した滝があるらしい。滝は大好きだが,そのような類はどうも好きになれないので,そこには近づかなかった。
さて,滝を見た後はすぐに戻ろうと思っていたが,天気がよかったので,同じ路線バスで足を伸ばしてシルトホルン/Schilthornへ。雲はだいぶあったが,人を爽快にしてくれる性質の眺望だ。ユングフラウを遠望しながら,リンゴの最後の1個を食べた。
その後,いったんインターラーケンに戻り,気になっていたお店や写真をとり損なっていたスポット(何故か動物の頭骨とかソリなんかを破風に括りつけてある干草の倉庫など)をまわった後,この日の宿のあるツェルマット/Zermattへ。

さて,ツェルマットは深い谷の奥,マッターホルン/Matterhornの麓にあるが,そこまでの道程では,いったん深く切り込んだ谷間に沿って走った後,奥地に入るとむしろ穏やかな地形に戻る。深い谷間は,氷河からの怒涛の水力が削ったものなのだろう。穏やかな地形はおそらく氷河の産物。だから,実際にはまわりを峻しい崖に囲まれている。
ツェルマットは電気自動車オンリーの街で,駅前からホテル(Albana Real)の専用電気バスに乗った。道中はお店がいっぱい並んでいるので,歩いても楽しい。
Vaca Lecheraという,うちの家族が気に入っているブランドの店もある。服飾関係のほか,ホルスタイン柄の文房具とかもある。
この街の商店は,駅前の,日本語でも買い物できそうなおみやげ店以外は,お互いに品揃があまりかぶらないように差別化しているようだった。また,スーパーマーケット,肉屋さん,文房具屋さん,化粧品屋さんといった,生活に密着した店にも入ったが,いずれもよござんした。ずいぶん山奥なのに,滞在型の旅行がしやすいように作られた街なのでしょうね。
そうした商店は夕方早くに閉まってしまうが,飲食店は商店の閉まる時間から先が本番だ。ツェルマット滞在の2晩とも,ガイドブックに紹介されているイタリア系の店を順に訪れた。いわゆる鉄板狙いという奴ですね。それだけに,何も問題なく楽しめました。

02-Sep-2000

ロープウェーを乗り継いでクライン・マッターホルン/Klein Matterhornへ。スキーの人たちが大勢いた。
帰路はロープウェーを使わず,マッターホルンを見ながらのハイキング。まず小さな池のほとりで腹ごしらえ。池には中くらいの魚(鱒?)や小さな魚がいっぱい泳いでいる。その池は,シュヴァルツゼー/Schwarzseeといって,ガイドブック類では湖と書いてあったが,どう見ても池か沼だ。パン屑をあげると,小魚たちが群がってきて小波を立てる。しばらくすると中魚も気づいて,以後は真っ先に中魚がパンをかっさらっていくようになった。よく見ると岸にはパンの切れ端がいっぱい。来る人がこぞってエサやってるのか。あるいは,餌付けされているのかもしれない。でもさあ,他の人のパンはほとんど食べられずに岸辺で水に浸ってるよ。ちぎってあげなきゃ。
中腹では,牛たちがカウベルをがらんごろんさせながら,はむはむしていた。「牛飼い」の人も近くで本を読んでいた。スイスの,峻しさと優しさの混在した風景と同様,その姿も大変なのだか長閑なのだか,よくわからない。それと,生活と観光資源であることとが両立しているというのもおもしろい。
時々姿の見えるマッターホルンを感じながら,下るとともに少しずつ変わる植生を楽しみながら,もっと険しいハイキングコースを横目で見ながら,ツムット/Zmuttという小さな集落を過ぎ,再びツェルマットへ。街へ入る寸前,セメント工場(というか土砂採取場)があった。スイスは峻しい自然を優しい人工物で覆っているが,水力発電もしてるし,こうして峻しい自然を利用することもしているのだな。
それにしても,マッターホルンはわかりやすくてよろしい。写真や絵で見慣れたアレが目の前に大きくそびえているのだから,俗物としては素朴に嬉しい。ふと気付くと,ずっとアルプス電気のコマーシャルソング(アルフィーの)が頭の中でかかっていた。
宿泊は,もう1晩,ツェルマット。

03-Sep-2000

名残惜しいツェルマットを発つ日がきた。電車に乗ろうとしたら,自分たちの乗りたくない氷河特急の発着ばかり続くため邪魔くさいなあと思いながら,ジュネーヴへ向かう。
インターラーケンを中心に動いた時は,電車はすべてほぼ定時の発着だったが,ツェルマットがらみでは,路線の勾配がきついからなのか,それともちょっとイタリアが近いせいか,往復ともだいぶ遅れた。とくに,ツェルマット発の方では,次の乗り継ぎがぎりぎりなのに,だいぶ遅れて困った。しかし駅の方も心得たもので,このようなぎりぎりの乗り継ぎは,ぎりぎりだからこそ定番の乗り継ぎということらしく,ちゃんと列車を待たせていてくれた。

ジュネーヴへ向かう途中,シオン/Sionで下車。街は日曜なのでからっぽだったが,名所のトゥルビヨン/Tourbillon城とヴァレール/Valere教会付近には観光客はたくさん。おりしも,教会内の歴史民族学博物館は新装開店直後で,ちょうど記念イベントの最終日。無料開放していた上,中庭で演奏会とワインパーティを開いていた。博物館自体もなかなかよい。全般に子供をターゲットにした展示のようではあるが,プレゼンテーションに力を入れていた。「歴史とは何か」という問題に取り組んだモニュメントも可愛い。ミュージアムショップでは,地元ヴァレー/Vallais州の歴史に関する本を数冊買った。なお,教会自体もだいぶよさそうだが,まだいろいろ整備中のようで,完全には見られなかった。
トゥルビヨン城は,だいぶ復元の手は入っていたが,ずいぶん壊れた廃城で,風通しがとてもよい丘の上にあって,寒々とした風情がかなりよろしい。要塞型の城だけに,眺望絶佳で,隣の丘のヴァレール教会,シオンの街並み,ぶどう畑,山々などが一望できる。
ところで,シオニズムで有名なシオンの丘って,どっちの丘のことだろう。

ジュネーヴでは,循環バスを逆向きに乗ってしまい,だいぶホテル着が遅れたりした。そのかわりジュネ−ヴ市内の日常的風景を少し見ることはできた。
ホテルはだいぶ恐い場所にあった。国連のビルに近い場所なのだが,なんとなく荒れていて,暗くなってからの行帰りは緊張した。
ホテルは禁煙部屋だったのだが,直前に泊まった日本人団体客がそこで煙草を吸っていたらしい。尋常ではないニオイだったが,同じ日本人として責任をとるという案件でもないので,さすがに部屋を替えてもらった。そっちは喫煙部屋なのだが,なぜかあまりニオわなかった。
夕食は,レマン湖畔のイタリアン。これもガイドブックに載ってた鉄板だが,期待以上にうまかった。夕暮れを迎える時間だったので,湖畔の景色も絶品。帰路はそのまま湖岸に沿って歩いたが,あまりにもハマりすぎたムードに,笑いを禁じえなかった。これは,男同士で来ても,うっかり恋に落ちてしまうのではないか。

04-Sep-2000

だいぶ天気が悪かったので,モンブラン/Mont Blancは断念。レマン湖周辺の街や村を訪ねることにした。
まずはジュネ−ヴ近くのニヨン/Nyonから,ローカル線でサン・セルグ/St.Cergueへ。レマン湖を遠望しながらなだらかな丘陵をあがっていく電車。頭の中は「世界の車窓から」だった。
終点まで行きたかったが,サン・セルグ止まりの電車だったので,そのまま駅から出てしまい,周囲を少し散策。落ち着いた別荘地だが,番犬に吠えられたので散歩を中断し,すごすご駅へ戻った。そのままニヨン行き電車に乗る。
ニヨンから,今度はローザンヌ/Lausanneに移動し,またそこからローカル電車とバスでロマンモティエ/Romainmotierという田舎街へ。
ロマンモティエが大ヒットだった。電車の駅からバスで5分ほどだが,いったん谷あいに入りこんだと思った直後,木々の間に,急に不思議なたたずまいの街が現れるという趣向である。
教会の中のフレスコ画は一部修復中で全貌はわからなかったが,かなり古いパイプオルガンを見ることができた。街の家々は,だいぶ別荘や芸術家のアトリエに変わっているようだ。中世さながらの生活が続いているとまではいかない。しかし,芸術家の生息している姿は,また別の風情を作り上げている。なかなかよろしい。
帰路のバスは,行き先表示が時刻表と違っていて,あやうくやり過ごすところだった。単語オンリーのフランス語会話をちゃんと受けてくれた年輩の女性のおかげで助かった。結局,バスの運転士が表示を替え忘れたらしい。
その女性は,我々を「フランス語は理解するが土地勘はない旅行者」と思ったらしく,バスを降りた後もフランス語で話し掛けてきて,切符の買い方か何かを教えてくれようとしたみたいだった。どう反応してよいか思案しているうちに,無視したかっこうになってしまった。とても悪いことをした。彼女は,ローザンヌへ向かう途中のひなびた駅で降りていった。

ローザンヌも散策しようかと考えたが,時間の都合で先にニヨンへ回った。この日はなんだかローザンヌとニヨンの間を何度も往復するようなかっこうになった。
ニヨンの街もまたいろいろ修復中で,あんまりよくわからなかった。ただ,シオンの街で見かけ,店が閉まっていて買えなかったもの(スケートボードの精巧なミニチュア模型)をこの街で買うことができたので,私一人だけ嬉しかった。
ニヨンから再びローザンヌへ行こうとしたが,さすがにここで時間切れ。

この日は,もう1晩,ジュネーヴ泊。 夕食は前夜と同じ店にいったが,なんだかこの日はだいぶ治安が悪く,見るからに危ない人(明らかにスイス人ではない人)が店の近くを何度も往復していた。
その後,バスに乗るために駅前に行こうとしたら,何だかまた雰囲気がおかしかった。それでもスイスの平和を素朴に信じて歩いていたら,大男が喧嘩していた。喧嘩といっても,片方が一方的に殴られていて,ぐったりしていた。現場に最接近した時,パンパンパンと乾いた音がした。周囲の地元民も遠巻きにじっと見ていたので,けっこう非日常的な事件だったのだろう。しかし当事者もまわりも反応が落ち着いていたので,「パンパンパン」は拳銃の音ではなかったのだろう。そういうことにしておく。
これらのことを最終日にツアーの現地係員の人に話すと,いずれも外国人(スイスから見ての)で,しかも麻薬取り引きなど当事者同士の問題で頭がいっぱいだから,関係無い人には何もしない,ということだった。しかしまあ,もうちょっと臆病になって行動した方がよいなと反省した。

ところで,夕食をとった店の脇の植込には,ネズミたちが住んでいた。ハツカネズミくらいのベージュ色のが2〜3匹いて,我々のテーブルの食べ物の匂いを察知したのか,ちょろちょろ顔を出してきた。ちょこっとパンやチーズの切れ端をおいておくと,目を離した一瞬の隙にするっと引いていく。しばらくそうやって駆け引きをしたあと,ちょっとほっといたら,植込の木の上の方によじ登ってきて花片を食べはじめた。め,めちゃめちゃ可愛い。同じ種類のネズミは,その後,ジュネーヴ駅前の同じような植込の付近をわらわら走っていた。

05-Sep-2000

朝5:30にツアーの現地係員の人とホテルのロビーで待ち合わせ,タクシーで空港へ。このホテルは,朝食をお弁当にしてくれた。お礼に名前を出しておこう。Epsom Manotelというところだった。まわりの治安と,室内での喫煙という問題はあったが,都会的なビジネスホテルで安心できる。都会的なビジネスホテルだからなのか,えっちなビデオが有料チャネルに用意されているということを特筆しておこう。
せっかく早起きしたのに空港はほとんど寝ぼけていて,ゲート前でだいぶ待たされた。休みをめいっぱいきっちりとる,ということではなく,単に業務開始の予定時間が来てもサボっていただけのこと。フランス語圏内はやっぱりラテン系なんだなあ。
ツアー係員は,日本語の上手なフランス系スイス人。空港の怠業に対して,「ゆっくりコーヒー飲まずに仕事しろ」とブツブツ言っていた。マインドは日本人的だ。
飛行機のチェックインもなかなか出来なかった。パリまではジュネーヴ空港のフランス領の部分から飛ぶ「フランス国内線」だったのだが,同じ国の会社でも,新興の格安航空会社の窓口は早くから忙しく動いていたのに,我々の乗る老舗の航空会社は,だいぶたってからとりあえずファーストクラス/ビジネスクラスの窓口だけをゆるゆるとあけた。その後もなかなかエコノミーの窓口があかないので,ツアー係員の人が交渉してそっちで受け付けてもらった。
まあ,もっとも,離陸の何十分も前に来いと強要する飛行場の習慣は非人間的で,たとえ1分前でも乗れればそれでいいじゃないか,と毎度思っていたので,「間に合えばいいじゃないの」とでも言っているような窓口のあけ方は,その意味では評価できるアプローチなのかもしれない。
ジュネーヴからパリはあっという間で,空港での待ち時間よりも短い時間でパリに着。ジュネーヴ空港でフランスに入国してあったのだから,パリでは待ち時間に市街地に行くことも可能なようだったが,せっかくのEpsom朝食をいただいたり,気難しい人への土産を選んだりしているうちに時間切れ。ただ,空港内の売店で,日本ではなかなか入手できないMichel PolnareffのCDを買うことができたのは嬉しかった。
空港内の売店では,"L'Afrique de Rimbaud"という写真集も見つけた。アフリカ赴任時代のランボーに同行した友人による写真集らしい。すごくほしかったが,なんとなく諦めてしまい,後ですごく後悔した。ただ,後で調べると,ちょうど家族が関係している大学に所蔵していた。こんど借りてもらおうっと。

今回の往復に使った航空会社は,機内に喫煙スペースを設けている。フランスがタバコに寛容なことも手伝ってか,どうやら喫煙スペースを売りの一つにしているようだが,仕切りもちゃんとしてないし換気も不十分。とても困った。
あと,乗務員にも,不器用/配慮がない/加えて高慢という三拍子揃った見事な人物がいた。料理だけはおいしかったが,全部通してみると,サービスにムラがある。ジュネーヴ空港でのことを考え合わせると,会社の体質として,自分達のやり方や習慣に対して強いプライドを持っており,前面に押したいサービスは有無を言わさず享受させる一方,自分達が重視していない部分はとてもルーズ,という感じだ。相手を慮ってキメ細かく対応するなんてことはしない。もはや文化の問題なので,憤慨していてもしかたないな。ただ,このような文化とうまく付き合えるようになるまでは,この航空会社とは関わらないほうがよいのだろう。

さて,パリから成田までは,隣に,たぶん「フランス在住数十年」であろう女性が座っていた。とてもかっこよかった。

06-Sep-2000

ツアーの旅程では,最後に成田から名古屋までの飛行機に乗り継ぐことになっているが,待ち時間が10時間以上もあったので,飛行機はキャンセル。電車で帰った。本で重たくなったスーツケースを運ぶのは辛かったが,本来乗る飛行機の発時間までに,写真の同時プリントまで全部完了したので,やっぱし電車で帰ってよかった。

その他,まとめて

海外で名古屋弁を聞いて,一瞬恥かしく,次にはとても甘美になつかしいという,何だか妙な気分に襲われた。何なのだろう。
そういうこともあって思ったが,多くの人が,海外で日本人に会うことを嬉しく思う気持ちと,忌避したくなる気持ちとを持っているのではないだろうか。旅行ガイドでも,「このコースは日本人があまりいないからどうの」とかいった記述がだいぶ見られる。
日本人が日本人を忌避する理由はいろいろとあると思われるが,実害は確かにある。どうもマナーに問題のある人が相対的に多い。我々日本人の旅行中の言動には,いろいろと改善の余地がある。
また,日本語のおしゃべりを聞くと,不用意に現実に引き戻されることがある。ある晩,電車での移動中,同じ車両に日本人グループがいて,うち一人がずっとしゃべりつづけていた。夜の静かな車内をその声が支配した。旅程の相談らしいのだが,さまざまな情報源を順に引き合いに出し,とても丁寧に話を進めていた。旅慣れていて,しかも事前の調査も万全だ,という様子。それにしても,決めつけ型の口調が耳に残った。たとえば,「スイスといったらこう」という具合いの。あれこれ考え合わせて,彼女はたぶん「お山の大将」の人生を送っているのだろうな,と思った。... まあ,他人のことは知ったことではないのだが,ただ,そうこうするうちに,不意に,悲しいことをいろいろ思い出したのである。
そんなこともあったので,「日本人から離れたい」という気持ちはよくわかる。そして,「自分が日本人であることも忘れたい」,「外国人の中でポツンと一人の異邦人となって,軽い孤独感を覚えたい」,「できれば現地の人に親切にしてもらいたい」といった「赤い靴願望」も理解できる。
しかし,いろいろ嫌なことがあって改善の余地があるとしても,日本人旅行者どうし,街中で出会って助け合ったり情報交換するというのはよいものだ。結局,いい人も困った人も,日本国内にいるときとあまりかわらない比率で出ていっているのだし,マナーが悪いというのも日本にいるときの性根が形を変えて出ているというだけだし,ふだん通りに人付き合いしていればよいということだ。日本人に起因する嫌なことを恐れたり,ましてや日本人そのものを忌避してもしかたないのだ。むしろ,日本人を過剰に避ける日本人,というのが一番不細工ではないかと思える。
現地在住の(と思われる)日本人たちは,大体は脇をさりげなく通り過ぎていくようだが,たまにあからさまに日本人を避けようとする者がいる。実害を恐れての場合もあるだろうし,観光旅行というものが嫌いで旅行者然とした日本人の姿を見るだけで鳥肌が立つというところかな,と思ったりするが,いずれにしても日本人に関する過剰意識だ(ということは自意識過剰)。私たちの姿に気づくなり,日本語で喋っていたのを切り替えてフランス語でコソコソ会話しはじめた日本人留学生の姿は,たいそう醜かった(これはだいぶ前,パリでの経験)。日本人を蔑む日本人は,観光土産店の日本人店員にもいる。あんたは,あんたが侮蔑する「あさましい」日本人団体客にサービスを提供することで食っているのだ。それをわきまえなさい。
ともかく,日本人は,日本人であることを十分受け止めて生きていくしかないとつくづく思う。

外国人にも,いろいろな人がいた。
集団行動で傍若無人,というドイツ系の人たちを何組か見た。団体で列に割り込むなよ,おい。おまえら,背中に背負ったスキー靴やアイゼンがひとにぶつかって危ないぞ,おい。
一方,フランス系の人の団体は見なかったのだが,気になったのは,我々を見るなり"Japonais"と口にする者が複数いたこと。実質1週間ほどの現地滞在で,2回や3回ではなかった。
"Japaner"とか"Japanese"といった言葉は聞かなかったので,明らかにフランス人固有の現象であろう。何か言いたいことがあるなら面と向かって言えよ。そんなんじゃ,外国人を見ると反射的に「ガイジン」ってつぶやいてしまう我々日本人と同レベルではないか。もちろん我らが島国根性とは異なるわけで,言うならば,「中華思想を持った田舎者」という部類の人間がフランス人の中にいるということなのだろう。
とまあ,いろいろとあるのだが,これら困った人たちはいずれも旅行者のようで,地元スイス人は,本質的に優しいのか,こっちが観光客であったためか,ともかく全般に親切だった。こちらが言葉が不自由なために,相手の親切を十分受け止められないというケースすらあった。
なお,スイスの中でもイタリア語圏には行かなかったせいもあり,イタリア系の人たちには飲食店以外ではほとんど会わなかった。ただ,うちの家族は,道を横断しそびれて私とはぐれた短時間に,どこからか湧いてきたイタリア男にすかさず声をかけられたらしい。

ところで,この夏のスイスは全般に天候が悪かったらしく,雨に降られはしたものの,我々はかなり好運だったようだ。
それにしても,雪融けや氷河からの水であんなに川や湖が潤っていて,しょっちゅう霧が出ているのに,全般には乾燥しているのは何故なのだろう。ともかく,とても過ごしやすい。とくに,汗が出てもすぐ乾くというのはありがたい。

どこのホテルでも,テレビで文字放送等の観光案内を見ることができた。主要スポットの天候を文字やライブカメラ映像で教えてくれる。しかし,ぼーっと見ていると,実はオーストリアの同趣向の放送だったりするので気が抜けない。そういえばチロル/Tirolってスイスじゃないんだよな。また,スイスとオーストリアって,なんとなく形が似ているから,地図が出ててもわからなかった。(よく見るとだいぶ違うのだが)
さて,そうした中で,よく"Feuchte"って語がよく出てきた。湿度だろうなと思ったが,93とか98とかいった半端な数字だったので,またわからなくなってしまった。不快指数というわけはないしなあ。で,結局,湿度で正解のようだが,今のところ,霧が出ていると湿度93とか98とかいうことになるのではないかと推測している。

電車の車窓の風景は,旅程の前半では牧草地とトウモロコシ畑ばかりだった。旅程の後半ではレマン湖をまわったが,その頃には「ぶどう畑とヒマワリ畑ばっかり」になった。
列車が山あいの街に入ると,不意に置物のような可愛らしい家々が見える。そうした家々は,大概,窓辺に花をいっぱい飾っている。もっとも,多くは別荘や宿泊施設なのだろうし,いずれにしても個人的にこういうのは趣味じゃないのだが,それでも見ていて楽しくなる。たぶん各々の住人に邪念がなく,まじめで思慮深いからなのだと思う。スイスは全土が観光資源で,すべての道路がハイキングコースみたいなものだ。だから,どの家の住人も「見られること」の意味を深く理解し,街の(あるいはスイスという国の)風景の中での役割り分担を皆が心得ているのだろう。
しかし,そうした境位に至るまでの道程は並大抵ではない。氷河や高山はともかく,人の入れるところではまめに木々の間伐や植林とか川の護岸とかで手を加えた形跡がある。そして,可能な限り牧草地や畑を作っている。厳しい自然条件と戦って生きのびるだけではなく,そうした努力さえも覆い隠し,長閑かな風景を醸し出している。
もっとも,全土がそのようにスキがないというわけでもないようだ。無理のある植林,植林したくても手に負えないようなガレガレの山も見られた。

動物は牛と羊が多いし,電車の中も含めて犬を連れている人が目立ったけど,猫もけっこういる。車窓から眺めていると,時折,草原の真中に猫がいた。大概,とても楽しそうに穴をほったり何か食べたりしていた。ネズミとかモグラとかいろいろいるのだろうな。猫だからあまり人里離れたところにはいないようだけど,でも路地裏ではなく草原の中でのびのびと遊んでいる猫を見ると,とても嬉しくなる。なお,猫がいるのは,ネズミ返しのついた建物が多いという事実と関係するのだろう。
そうそう,ツェルマットで泊まったホテルにも2匹いたが,どの猫も,でか尻で大きかった。みんなおっとりしていたが,単に体が大きい上にモノグサなために逃げなかったのかもしれない。ちなみに,博物館で見たヨーロッパヤマネコ(剥製)は,これらのスイス猫と同じ体型だった。
マーモットらしきものの姿も車窓から見えた。でっかいおしりを振りながら草原をムニムニ歩いていた。リスもいたが,秋にさしかかった時節柄か,とても忙しそうだった。

スイスでは,電車から見えるコンクリートの壁面に,落書きアートがいっぱい描かれている。壁面に,ペンキのスプレーで文字や絵を描くアレです。「描かれている」というだけなら,日本だって同じ事なのだが,何といっても量が異常に多い。電車から見える「あらゆる」壁面を埋め尽くしている。陸橋や高架線の下は一番のキャンバスになっているので,あちこちで落書きアートが立体交差していた。ドイツ人の律儀さで,空いている壁面を許せないのではないかと思えたが,フランス語圏でも状況はあまり変わらなかった。
大概は陸橋等の鉄道設備や車両の壁面だが,沿線の家々や商店・工場・倉庫などもだいぶやられていた。とはいえ,個人の家やきちんとしている工場とか商店はほとんどターゲットになっておらず,何かルールとか仁義があるのかもしれない。やられてしまった商店等は,店名等の壁面ペイントとあまり区別できないケースもあり,建物のオーナーとか使用者が頼んでいることもあるのではないかと思えた。あるいは,沿線で(またはスイス全土で)ある時期にイベントを開いて,希望者の建物だけに(あるいは希望しない者の建物だけ除外して),一斉に落書きアートをさせたのかもしれない,とすら思う。
都市やその近郊が最も激しいのだが,だいぶ出張して描いているケースもあるようだ。山中のトンネルでも見られた。さすがに,トンネルの中ほどまで行けずに挫折するようだが。
都市圏ごとにだいぶ違いがある。立体的に見せる技巧を使っているところ,線の肥大した文字に特徴のあるところ,ラッカー風の塗料を好んで使っているところなど,いろいろである。地域差というよりは,流派というべきか。
ほんの一部だけ,かなり古びたものもあったが,大体は同じような保存状態で,描かれた時期はそんなにバラついていないように思う。最近になって全国で一斉に描かれたのか,それとも古いものは消して上書きしているのか。あるいは,スイス国民や鉄道当局が別に寛容なわけではなく,マメに消しているのに,後から後からまた描かれてこうなっているのか。真相は如何に。

ホテルは朝食以外は予約していないので,昼と夜は自分たちで調達する必要があった。外食は少数派で,ほとんど買い食いか買い出しだった。
買い食いは,サンドイッチ,プレッツェル,ホットドッグなど。サンドイッチは,もちろんイングリッシュなパンの薄切りで挾んだヤツじゃありません。でも,私には,ドイツパンだかフランスパンだかわからないので,「とにかくおいしいパンだった」と報告しておきます。意味ないか。ほかには,キッシュも食べた。また,バーゼルでは,「ケバブもの」を食べた。ドイツにはトルコ人が多いというから,何だかそういう経緯でバーゼルで流行していたのだと推察する。
最初はそうした具合いの買い食いばかりだったが,できればスーパーでハムやチーズを買って食べたいと思い,ホテルの近くにディスカウントスーパーがあったので,そこに行って買い物。ポテトチップスなど,いろいろ買ったが,大ヒットはパン。パッケージもよござんしたが,何せ,まずかった。どうやら,生で食べるパンではなく,オーブンで焼いて食べる半製品のようだった。もう一つの大ヒットは,モカ・ヨーグルト。スプーンもなかったので,すすって食べたが,それ以上に,その味に苦労した。コーヒー味のプリンだと思って買ったんだよぅ。
そういう大ヒットもあったが,それはおいといて,スイスの牛乳はとてもおいしい。なんだか体にあう。毎日,夕方に1リットル買って翌朝までに飲むというペースで飲んだが,ずっと胃腸の調子がよかった。最初に飲んだロングライフらしいものもおいしいし,脂肪の少ないタイプも,不思議なコクがあった。
私の日ごろの食生活は生活習慣病への招待状という風情があるが,スイスに行って,人はパンと牛乳とチーズだけで生きられると確信した。

スイスでは,MIGROとCO-OPの二大グループのスーパーが対抗していたが,一方のCO-OPには行ったけど会員でないからだいぶ代金が高くなったし,他方のMIGROには滞在中ついぞ行けなかった。このへんは次回の課題である。
ところで,コントレックス/Contrexというブランドの水を我が家でよく購入するのだが,これが国内ではべらぼうに高い。ところが,スイスのスーパーやディスカウントストアでは,エヴィアン/Evianより若干高いだけの値段であった。きっと,日本向けの輸出には何か魔法がかけてあるのだろう。

Kiosk IIIって赤いロゴの書かれた看板の店が駅前をはじめ,あちこちにあった。しかし,アジアっぽいキオスクとは違うし,日本のキヨスクとはもっと違う。店の構えからすると,近いのはコンビニですね。
で,この"III"なのだが,ローマ数字の3なのか,111なのか,Lの小文字が3並びなのか,実は!!!で,たくさんびっくりしているのか,よくわからない。Yahoo!で検索すると,KIOSK IIIという金融関係のコンピュータ機器は実在するようだが,だいぶ違う。
そういえば,IIIの2番目の線だけ白っぽいな。もしかすると,Kiosk IIなのかも。
おおむね駅のホームに限って置かれている自販機には,皆,Kiosk IIIと同じようなロゴで,selecta IIIと書いてあった。お菓子と清涼飲料の自販機。なんだか一大企業が君臨している樣子だが,よくわからない。だいぶ検索して,会社のホームページを見つけた。でもIIIがやっぱりわからない。なんだろう。
自販機と並んで,必ずといってよいほど駅にあったのが,3分写真。3分かどうかはともかく,証明写真なんかをとる,あの機械です。で,なぜか大概,誰かが写真をとっているのだった。もちろんプリクラではない。スイス国民は証明写真が好きなのだろうか。
うちの家族の説は,鉄道の回数券か定期券か,とにかく地元民が持っている乗車券によく写真がついているので,それの発行のためなのではないか,ということである。

それにしても,スイスの公式時刻表はえらくかさばってカバンの中で邪魔になったが,我々の旅行ではかなり役立った。予定の大枠はホテルの都合もあって決まっているのだが,細かいところは天候や気分や,行き先の組み合せの都合などによって適宜計画を再構成した。各駅に,ダイジェスト版のコンパクトなものが置かれていて,それを収集するのもスマートだというアドバイスもあったが,必要なものが確実に入手できるとは限らないし,何よりも駅に行くまで何もわからないということになる。あと,でかい時刻表は,ああでもないこうでもない,と,事前の計画の時に夢が広がるという効用もある。
ま,もっとも,ダイジェスト版すらなくても何とかなりそうなほどシステマティックな鉄道だし,逆に,時刻表に縛られるのもよくないから,なけりゃないで楽しめるんだろうなあ。あるいは,日本にいるときに時刻表で「ああでもない,こうでもない」をしておいて,いざ現地ではほとんど行き当たりばったりいろいろ失敗旅行,というのも楽しそうだ。
まあ,いろいろっちゅーことですね。



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