★ 日々ほどほど ★

いろいろ文書メニューへ戻る
ホームページ
** 日付逆順 **


Mon 14-May-2012

初夏にかかり,バルコニーの植物群落は なかなか順調。一昨年,コーヒーカップに 収まった状態でやってきた薔薇くんは 大きな鉢でぐんぐん成育し,すこぶる元気。 たっくさん花をつけ,今もとまらない。 ジャスミン兄妹はひとしきり咲いたあと, ぎゅいぎゅいと蔓を伸ばしている。 ミント軍団の1種類は昨冬の厳寒で枯れたが, 2種類は暴力的に繁茂し, いつも一番危ないレモンミントも, 昨年同様,ミリ単位の芽から身を起こし, 1ヶ月ほどで薮になった。 オリーブは実をつけてから葉の色が悪くなり, 心配したが,5月に入って若葉が盛んに出てきた。 みゆきさん株のパピルスはバルコニー越冬で 少々弱っていたが,だいぶ元気になった。 というか,弱っている間も伸びて すでに150cmくらいになっているし, 花もつけてるし。 パルカ(はるかちゃん株パピルス)は 虫の襲撃で最も古い鉢が全滅寸前だったが, 何とか乗り越えたらしく,新芽が出てきた。 昨年のうっかりくん(穂から発芽した株)は 十分元気。 そこから派生した今年のうっかりくんは, 長い間「小さいちゃん」のまま推移したが, 無事に根を張った様子で,最新の新芽は だいぶ茎が太くなっている。 昨年のバジルは,種を残した。 昨年の株の足許で発芽した苗は全滅したが, 何となく実を置いておいた鉢から, 5月になって発芽し,それがだいぶ育った。 クレソンは最初の種類が昨年全滅し,2番めの (別種の)クレソンがそこそこ健在。 ひと鉢は息も絶え絶えながら生き延び, 他方,一度全滅した鉢では種から発芽した。 新しく発芽した株の方が元気で, 早くも花をつけている。 その他はおおむね「ほどほど」で, 多少の心配もあるのだが,そのうち, 蘭が復活の兆しを見せているのがうれしい。

Wed 22-Feb-2012

形式は似ていても,社交メディア上では 「意味」が全く違う。Blogも同様で, 個としての言は 個人のWebページに置くのが一番だよね というところだろうか。 そういえば,以前はこのWebページにも 「大学のセンセのホームページ」路線を 織り込んでいたわけだが,ある段階から その種のことを放棄・排除した。結果, 基本的に人間にとって価値のない言片の 集積場となっていることと思う。 しかしどうやら,このWebページを含め この身に帯びているいろいろなことが ひとつの方向へと流れはじめている。 それが意の実を結ぶのかどうか, いささか心許ないところだが, 行き着くところに何か収束点がある ということがおぼろげながらわかる。 色のない小さな言の花を散りばめながら このような時を重ねていこうと思う。

Wed 21-Dec-2011

これまで書いてきた「日記」の形式は TwitterやFacebookと親和性が高いので, そっちへ移行したことにしていたが, ブラウザやクライアントAppではなく というより特定の読み手を想定せずに テキストエディタに向かって書くのも 有効なものだと思い直したところである。 読み返してみると,けっこう長い間, 日記が途切れたことがあるんだなあ。 当時の電子メール,そして,裏技として ゼミの配布物や提出物を掘り起こせば, その頃に何をして何を思っていたか おおむね思い出すことだろうが, よく考えると,「日記」継続期間中も, 本当のところどうだったのか, 実状はわからない。 そのときどき,貴重な瞬間だったのか, 忘れても支障のない程度のことなのか, それもわからない。 いろいろなものを置き去りにして, いろいろなことを放置して,今に至る。 今のうちに遂行しておきたい務めがある と思い詰めているうちは とくに気にしない方がよいだろうが, いずれ,忘れ物を探しに あちこち巡る日が訪れるのかもしれない。

Fri 08-Jul-2011

梅雨明けや 前後の次は 競馬場

Tue 05-Jul-2011

震災のあと,新入生研修合宿準備の追い込みのころから ウォーキング通勤を続けた。 1ヶ月過ぎたあたりから体重に反映し, 2ヶ月くらいで胴回りがスリムになった。 昨日の健診では,久々に70kgラインを割った。 今回は,ひどいところまで肥満が進んでいなかったが, 一昨年の夏に毎日ハーゲンダッツのアイスを食べてから 増加に転じ,そろそろ危険信号が灯る頃合いだったので, 歯止めをかけてみた次第である。 また,前回は運動を伴わずに減量したので,あまり 体調向上に貢献しなかったということも理由である。 標準体重は間近だが,気温があがってきたので, 毎日の通勤時に歩くことは取りやめた。 まあでも,体重の減少以上に, 体の動きが軽くなったことが快適なので, 折りを見て歩くようにしていこう。

Tue 15-Mar-2011

枯れたパピルスの穂から,芽が出ていた。 みゆきさん株ではよくあることだが,今回は はるかちゃん株のうっかりくんである。 既存の株では,みゆきさんだけが新しい茎を伸ばしている。 パルカはどの鉢も完全に枯れ野原だが, 去年もみゆきさんよりだいぶ遅れて元気復活したので, まだ引き続き様子見というところ。 レモンミントは今年も芽を出した。 種をつけたようには思えなかったが,知らぬうちに 種を落としたか,2年越しの種が残っていたか。 ほかのミントはまだくすぶっていて先行き不透明だが, 緑色の葉がわずかに残っているので,やはり様子見。 スプラウトのスポンジから繁茂したブロッコリは, 花が終わろうとしている。 ちゃんとしたブロッコリにはならないままだったが, 今も茎や葉がしっかりしている。 代わるように,同じ鉢のクレソンが全滅したが, ブロッコリに駆逐されたのだろうか。 ジャスミンは開花寸前。 そのほかの鉢も,盛大とは言わないまでも まあまあ順調で,命の灯をつないでいる。

Sat 26-Feb-2011

コダカラ草の芽くんがだいぶ伸びたので, 鉢に植え替える。 ついでに,元の全滅した鉢の残骸を取り除いた。 合間に残る芽がまだ生きているかもしれないので, 根元はさわらず,葉と茎だけ除去することにした。 しかし茎は頑強,しおれた葉は鉢の縁にへばりつき, 作業は大いに難航する。 パピルスやミントの枯れ枝の処分もなかなか難儀だ。 こんな丈夫なものが数ヶ月という期間で無から作られる。 大自然の中でなら「そんなものか」と見過ごすのだが, バルコニーという枠の中で展開するのを見ていると, あらためて驚く。 そしてそれは,人間に役立てられるどころか, 土にかえることもなくほとんどそのまま廃棄物となる。 これも含めて自然だ宇宙なのだと考えてはみるのだが。

Mon 21-Feb-2011

ジャスミンがつぼみをつけた。 伸びすぎたツルや葉がだいぶ枯れたのだが, このところの陽気で息を吹き返したところだった。 お店からついてきた雑草くんもちゃっかり健在で, 一足先に花をつけた。 クレソンやアボカドも,室内に退避させたおかげか とても元気。 クレソンは部屋の奥まで入る早春の日差しに反応し, びんびんと窓へ向けて伸びている。 アボカドは三つのうち二鉢が新しい葉を出した。 雪の日に放置してしまったコダカラ草は ほぼ全滅であるが,大丈夫そうな芽くんを拾って 室内のクレソン鉢に置いておいたら, 根を張って無事に伸びてきた。 レモンミントはすっかり枯れたが,アップルミント はまだ地面近くにがんばって葉をつけている。 春になったらこのまま復活するだろうか。 インドミントマハラジャくんはほどほどに健在。 パピルスの地上部分はほとんど枯れたものの, どうも,盛んに水を吸っている気配があって, 本体(根)が生きているものと期待される。 こんなふうに植物の鉢を並べるようになる前から, 野菜くずのニンジンの頭(葉のつけね)を 皿に載せてちょびちょびの水で育てるということを よくやっていた。健気に微細な葉を伸ばす様子が とてもかわいいわけだが,たいがい,2週間もすると 水をあげ忘れて枯れるか,腐ってしまったものだった。 今回,ちょっと思い立って 少し育ったところでアボカドの脇の地面に移した。 とてつもなく順調である。

Sat 19-Feb-2011

そういえば,論述問題の答案で「〜のために」を 「〜のだめに」と書いてしまうケースが散見される。 複数の人の答案に見られることからすると はずみで濁点つけたということではないはずで, きっと,書きながら「のだめ」が微妙に頭に浮かび, 親近度ゆえか,そちらに意識が寄ってしまって こうなった,というところか。 でも,もしかするともっと凄いことが起こっているかも, とちょっと期待している。 そういう人は,何か一つのことに取り組んでいるときも ほかのことを随時考えていて,その中に ちょっと関係していることや音の似ているものがあると, 途端にメインストリームの思考とまざってしまう。 あたかも異なる複数の旋律が併奏されているような具合, あるいは雑多な音響の入り乱れる商店街のような具合に 常に種々の思考が交錯しながら自在に伸展し,結果として クリアな線形構造を採らず,立体構造ですらなく, 四次元構造を獲得しているわけである。 夢の超スーパーハイパーメディアが実装された脳。 そのようなステージに達すると,言いたいことはあるのに どのように発話してよいかわからなくなることも多く, それゆえに,談話を求められても優等生の応答ができず 投げやりに一言だけつぶやくような事態が生ずるわけだ。 私は沢尻を理解したのかもしれない。

Mon 14-Feb-2011

クレソンの脇のスプラウトは 何回か葉を収穫したにもかかわらず,いまだに元気で, 今朝,とうとうつぼみをつけた。 いわゆる食材としてのブロッコリのミニ版,というより みそっかすのような風情だが, それにしても,たくましい。

Sun 13-Feb-2011

本年度後期試験答案の新造語大賞:    炭色文献 うむ。燃えてしまったか。

Thu 17-Dec-2010

久々にうなされた。 早朝に家を出る予定となっており, もともと6時間しか寝られないのに,4時に目が覚めた。 その間「まず体を休めないと」と考えていたはずだが, 胴を横に向けるとか膝を抱えるとか伸ばすとか, そんな思考がどうしてもできない。 それどころか,自分が人体と思えず, 何か木切れか丸太のように感じられて 何をどうしてよいかわからずにいた。 活路を見つけようとして,「否定」「建設」など その場で定義した演算を試みたりした末に, 結局4時に覚醒し,自分がどこにいる何者か,わかった。 ただその後も,「あと2時間眠れる」「1時間しかない」 と気にするうち,体が時間軸方向にその分だけ伸びて, そしてまた元の時刻に戻ったりした。

Tue 30-Nov-2010

パピルスが再び穂をつけた。 穂のない茎は,軒並み枯れはじめている。 クレソンは2種いずれも,11月中に,ずいぶん伸びた。 この季節が好きということらしい。 意外なことに,アボカドもよく水を吸うようになった。 きみたち,南国の植物じゃなかったのか。 Newtonは新しい少し大きな葉を出している。 根付いたようだ。 だからといって,iPodに改名するわけにもいかないか。

Mon 29-Nov-2010

コーヒー生活を再開することにした。 久々に焙煎屋に立ち寄って豆を買って帰り, 埃をかぶっていたコーヒーミルを引っ張り出した。 木製の部材に少し饐えたようなにおいがあるものの, 挽いた粉にうつるほどのにおいではなさそうだ。 しかし,いざコーヒーメーカーにセットしてみると, 異様なニオイで部屋がいっぱいになった。 ミルよりも,コーヒーメーカーが悪くなっていて, 内部が黴で汚れたか,ゴム等の部材が劣化したのか, 洗浄しても復活せず,廃棄せざるをえない。 カリタの一人用のコーヒーメーカーで, お店で勧められて買ったのだが,忙しくなったため これであまりコーヒーを淹れることもなく, いつしか放置していた。 ある日のコーヒーのかすをセットしたままだったが, そのことに気づいたのは何年も経過した後だった。 それからまた時間が折り重なっている。 その間,ずっと,ネスカフェばかりで過ごした。 スーパーで大量に買い込んで,毎日,何杯も飲んだ。 自分で豆を挽いて淹れる方が楽しいに決まっている。 とくに,焙煎屋の豆なら,疲れた体まで楽になる。 それはよくわかっていた。 別段,それほど余分に手間がかかるわけではない。 しいていえば,焙煎屋までのほんの少しの道のりが 近頃の車の往来の激しさゆえに辛くなったりしたが, 必要なことなら,大したことではなかったはずだ。 忙しさゆえに,遠回りの近道というものを忘れていた。

Sat 30-Oct-2010

かえうた「化し野・奇説」 悪夢の秘密 あげたいわ もげた手の 青い痣 血の気引いて 悲鳴 走り出すわたし ぴたり一つのシルエット

Tue 11-Oct-2010

クレソンについては,水を絶やさないようにするため, ホームセンターの店頭でフネなどと表記されている容器 (セメントをこねるため等に使うらしい)に水を張り, その中に鉢を入れている。 アップルミントがそれに興味津々で, その方向にしきりに枝を伸ばしていること には気づいていたが,今朝ふと見ると, 枝の先端が水に浸かっており, 既にそこから根がわさわさ伸びていた。 もともと水差しミントだった株だから, 水がなつかしかったのかなあ。 枝を摘んで土に植えたが,根付くかどうかはわからない。 そこで,とりあえずNewtonと名付けておく。

Mon 27-Sep-2010

アボカド2号の鉢にコガネムシの幼虫が住み着いた。 少し前から葉がしおれていて,それだけなら 強い日差しに当たるとすぐ弱気になる1号を見てるので 「そんなもんか」と思ったのだが,土がふかふかになって いよいよおかしいと思っていたところ, 地面に虫くんが這い出てきたのである。 大きくて平たいので,カミキリかもしれないと思ったが, 画像検索で見つかるカミキリくんはころころ丸い。 家人が,棟内にコガネムシが出没したのを思い出し, そっちを検索してみると,ビンゴであった。 スプラウトの野菜くずくんの葉が適当な大きさになったので, 幕引き覚悟で何枚か収穫。でもまだ引き続き,元気。 クレソンは,涼しくなってから少し持ち直したが, ちょっと前には,2種類とも全滅寸前まで行った。 昨夏は,お蕎麦の薬味のためによく収穫したのだが。 オリーブの葉っぱの色が悪いが,水はよく吸っている。 ミント軍団は,ダメダメな雰囲気を見せつつ,とりあえず 枯れてはいない。 このように,全般に「ほどほどに元気」というところだが, パピルスだけは猛暑にもめげずに順調に生育し, 今年もバルコニーの手すりを越えるまでに伸びた。 パピルスの鉢のアボカド(3号)もすくすく成長している。 アボカドのサラダを食べるたびに鉢が増えるのは困るのだが。

Tue 10-Aug-2010

本年度前期試験答案の新造語大賞:    大賞該当作なし 佳作入選(2点):    半皮紙       リベロテーケー 前者。「では残り半分は何?」というところだが, 複数名の答案に出現しているので,おそらく 筆跡のぞんざいなノートのコピーが出回ったか, 私のぞんざいな板書を何も考えずに書き取ったか, そのどちらかであろう。 ただ,雁皮紙という語を博物館学の授業で習い, それがなんとなく「半紙」と混ざりあった, という可能性もあるにはある。 後者は,板書しなかった私の発話を頑張って書き取り, biblioの部分がわからずサッカー用語の力を借りたら はからずもlibrariumに近づいて,結果的に 二つの古典語を横断する形になったという大技である。

Sun 08-Aug-2010

アボカド1号を新しい大きな鉢に移した。 しばらくおとなしかったが,新しいおうちに慣れたらしく, 先日,いきなり,めったやたらと若葉を出した。 と思ったら,今朝,新しい葉が一斉にしおれている。 救いようのないしおれ方なので,それは諦め, ダメージが広がらないよう,直射を避けて日陰へ移動した。 夕方,ふと見ると,しおれたはずの葉が全面復活していた。 Yの字型に,ぴっぴっと伸びている。 へんなやつ。

Thu 29-Jul-2010

今年も,健康診断優等生となった。 ただ,体重だけ,ちょっとよくない。 少しずつ,着実に増えている。 この医療機関の基準では,2年前の私が標準体重。 体感的にも,いちばんバランスのとれていた頃だ。 その2年前,侵入窃盗団に盗られたものは これからずっと待っても戻ってこない。 しかし,そのときに崩れたバランスは 自分で手放したというだけだ。 持ち去られたわけではない。きっと,取り戻せる。

Wed 21-Jul-2010

植物群落はおおむね順調だが,レモンミントは 開花しようとしていたわけではなく,ひたすら 弱りつづけているようだ。ただ,かわりに, 元気な新しい茎が脇から伸びてきた。 空いている鉢の受け皿に土を入れ,水を張って グレソン2(今年の分)の家にしていたが, 気温が上がって溜まった水が傷みやすくなったので 水の抜ける環境に移し替えた。 高温に弱いらしいので,グレソン(元祖)と一緒に 玄関先の涼しい場所へと移動し,ついでに 空き地にアボカドの種を埋めてみた。 クレソンが鉢を被い尽くすまでに芽を出さないと 植え替えがかなり面倒になるが,どちらが早いか。 グレソンの脇に植えたスプラウトはその後も成長し, 「カリフラワーのまわりの葉っぱ」レベルとなった。 こいつら全員,野菜くずだったはずだが, ずいぶん騒々しい。 ランの花芽が出たと思ったが,実は根のようで, 上に伸びず,土にめり込んでいる。 パピルスの根元には,また新しい「種からくん」 が伸びている。まだまだか細く,心許ない。 そういえば,今年はかまきりが来なかったなあ。

Sun 04-Jul-2010

旧来のクレソンも,種を落とした後に枯れた。 枯れた茎をつまむと,するする抜ける。 元気なときはちょっと引っ張ったくらいでは 抜けないのに。 ひと通り抜くと,すでに地面は新芽でびっしり。 ミントが花をつけた。 まずインドミント,ついでアップルミントが 2週間ほど遅れて咲いた。 葉の力が弱まったのは,開花の準備だったのか。 レモンミントも弱ってきたが,こちらもどうも 花を準備している気配である。 花を楽しむために育てているわけではなく, もちろん種を収穫するためでもないが, それぞれ元気なことは大いに好ましい。 そういえば,インドミント(マハラジャ)は いまだに正式な名がわかっていない。 ミントなのかどうかも,実はわからない。 まあしかし,花の様子からすれば, ミントである可能性はいまだ残っている。

Thu 17-Jun-2010

豆苗は調理されないまま伸びつづけている。 苗の域を超えたから,単に「豆」と呼ぶべきか。 ミントは相変わらずいまひとつだが, パピルスはすっかり元気。 コダカラソウも芽をいっぱいつけて,大復活。 アボカド1号は葉が巨大になってきた。 2号は,ユーカリの鉢で寄生植物さながらに成長中。 そのユーカリは天井につかえて悩んでいるが, オリーブは上に伸びず,四方八方に枝を伸ばし, ミントやパピルスとお話している。 それぞれにぎやかで,来年の今頃, 我が家はジャングルになっているかもしれない。

Sat 12-Jun-2010

豆苗のパッケージに「もう一度収穫できます」などと 育て方のインストラクションが書いてあった。 誘惑に勝てず,おうちをつくってあげた。 2日目位から顕著に成長しはじめ, 4日目の今朝は,ぼうぼうに生えている。 電灯の光に反応して向きを変えるし,根も伸ばすし。 でも,きみたちは野菜。きみたちは,野菜。 グレソンの花は完全に終わり,種もほとんど落ちて, 今は静かにしている。 グレソン2(今年の野菜くず)も同様に種を落としたが, 少し様子が異なり,種をつけた頃から弱りはじめた。 種子をつけたら任務完了となる種類なのか, 枝ごとに順次枯れていく。 しかし,早くも種から発芽しているようだ。 花をつけた先端が鉢の外にはみ出たので, 種の落ちそうな場所に土を入れた受け皿を置いたのだが, そこにミリ単位の小さな双葉が出ている。 展開早っ

Fri 11-Jun-2010

教育実習の訪問指導のため,岡崎まで出張。 朝の通勤時間帯だったが,トヨタ渋滞は見られず, かなり早い到着となった。 コンビニでドリンクなどを買って駐車場で時間をつぶす。 無線LANのみのiPadを買ったことをはじめて後悔する。 高校を訪問するたび,いつも自分を省みることになる。 あれこれ,あれこれ,と。 いっぱい改めなければならないが, いったいどこから変えればよいかなあ。

Wed 09-Jun-2010

「人の口に戸は立てられぬ」って, 【「人の口」==見間違えやすい==「入口」】→「扉」 という連想だったんだあ。いま発見した。 その後,「武蔵溝ノ口に登戸は立てられぬ」とか あれこれ考えているうち, 「人の心に戸は立てられない」という句にたどりつく。 これは,確かに,そうだ。そして, 風雨が訪れても雪が降りても門が閉まらないのなら 流れのままに暮らすのが一番。 万が一,歓迎できない客が入ってきたときは 裏口をあけておき,家のほうを移動させて彼らを出す という技を試してみよう。

Thu 03-Jun-2010

iPad日記を別に作成することにした。別紙参照

Wed 02-Jun-2010

夢を見た。 老執事が二十年ぶりに職に復帰したという。 その昔,厳格にして的確な思慮を常にめぐらせて事を運び, 名執事と謳われたが,それゆえに嫉みを買うこととなる。 自らが慾を持つ者にとっては,野心ありと映ったらしい。 些細な事件の責任をとらされるかたちで職を辞した。 以後,長く静かな引退生活を送っていたが, 権力争いの続いた末に後任の執事たちが次々と辞任して 人材が払底し,壊滅状態となったところを立て直すため, 結局彼が呼び戻されることとなったのである。 久方ぶりの屋敷の朝,数名が覇気のない掃除を始めたが, 言われていたほどは荒廃していない。 おそらく,彼の時代に作り上げた能率の体系が それほどにゆるぎないものであったこと,そして何より 後任たちは,最後は慾魔に攫まれたとはいえ, まぎれもなく,彼の手で育て上げられた弟子たちだった というわけだ。 それが嬉しくもあり,また寂しくもあり, 涙が止まらなくなった彼の背中を見ていて 私も涙がこぼれた。 == 人物の容貌の元データは,ドラマ『ローマ』に登場する カエサルの奴隷(有能で,秘書として付き添っていた) と思われるが,設定や言動はあまり重ならない。 また,「二十年ぶり」あたりは無理がある気もするが, 夢見のすぐ後に出てきた言葉なので, 何か意味があるのかもしれない。

Sat 29-May-2010

ユーカリの鉢に埋めたアボカドの種が芽を出した。 2例めである。 グレソンは種を落としはじめている。 ランの芽はまだ小さいものの,色つやが立派になった。 ミントその他,少し元気のない鉢もあるが, 枯れたわけでもないので,まあ様子見か。

Fri 28-May-2010

宅急便でiPadが届いた。 いつも新製品について腰の重い人間だが, これについては決断早かった。 自分のために新しい文具として期待しているのと, 歴史的にはMemexからDynabookを経て今に至る道の かなりはっきりした到達点で,しかも こんなふうな,わかったような発言を すべて軽くはねのけていくような 圧倒的な力を持っていると思うからである。 何より,なんだかとてもかわいい。 ひそかに,Pinakeyという名前を付けた。

Tue 25-May-2010

バジルまで花をつけるし。

Mon 24-May-2010

ドラマ『ローマ』を見終わった。 情報史の教材に適した映像を求めて視聴したが, 配役,微細な背景描写など,見所が多かった。 その後,『ビックリハウス』掲載の名作投稿: 「ブルータス,お前モカなら俺キリマンジャロ」 がずっと頭をぐるぐるしている。 そこでふと思い立って検索してみたところ, 「ターバン,シャレでがんす」 という同誌TVCMに対する言及が見つからない。 そういえば,哲学科に在籍した兄が 「実存が本質に先立つ不孝をお許しください」 という作品をいたく気に入っていたが,これも ネット上できちんとした参照が見当たらない。 この種のフレーズにかかわる探索は,とかく 表記のゆれ(よれ)に左右されるわけで, 単にまだ行き当たっていないだけかもしれないが, それにしても弾幕薄いぞ。 ブルータスについては「その世代のその向きの人」が なつかしむように言及する一方, 細部の異なるバージョンが流布していたりで, ほとんど口承文化の様相を示している。 「ルイはトムを呼ぶ」も,ソースへの言及よりも 故事・成句のように応用・転用した例が目立ち, もはや日本語話者の共有資源という域にあるようだ。 「ターバンの人はチャダだったのか」という程度なら わりにすぐ回答が得られるのだろうが,全体として, 肩で風切るような勢いだった西武・パルコ文化も 過ぎてみれば痕跡を方々に残すだけの一時の砂嵐, すべてはポップカルチャーのサイケ色の闇の彼方, というところなのかなあ。 別に,その流れの本流に身を置いていたわけではない が,少々さみしい。

Thu 20-May-2010

それ以上先に何があるわけでもない小径の それはそれで楽しいことに 遅れて気づく。

Tue 18-May-2010

ジャスミンの花が終わったので,時々水をあげるだけで 放置していたのだが,いつの間にか妙なつるを伸ばし, それがどんどん成長して何か別の生き物に変身している。 かと思うと,再び花をつけていたりする。 ほとんど枯れ色の花の痕ばかりの株の 日当りの良いところに,白い花が何輪か咲いている。 停滞中のパピルスも,だいぶ生気を取り戻した。 クレソン(増長ぶりが甚だしいのでグレソンと改名)は もうすぐ種を落とす気配。 ただ,あれだけ元気だったミントの葉の色が悪くなった。 レモンミントもアップルミントも,何かおかしい。 もともと,わかって面倒見ているわけではないのだが, それにしてもよくわからない。

Mon 17-May-2010

欲望が強く,自分の意図にとらわれがちな人々にとって その欲望の実現した状態が「あるべき世界」であり, 一線を越えていても当人にとっては当然の業なので, すべきではないと遮られたりたしなめられた時に 「不当に攻撃された」と感じるようだ。 相手が防御を固めることを宣戦布告と称するような国家と あまりかわらない。 大学が神聖な職場だとは思わないが,自分の都合を優先し, わずかな労を惜しんで目先の楽を得る心性は ここではとても目立つとだけ言っておこう。 それらの行為が学生諸君の目に触れぬことを祈っているが, たぶんすでに相当のところ,見透かされていることだろう。 とりあえず,学生のみなさんは学内だからと安心せず, 身勝手な運転者に気をつけて。彼らは,治らない。

Wed 12-May-2010

 かぐわしき 大衆の亡霊 お茶の間の  ブラウン管にぞ 住み給ひける マスメディアがこぞって「メディアの危機」を訴えるのを 微笑みながら見送るような, もはや「大衆」でも「消費者」でもなくなったわれわれは, 集団の中で個を保とうとあがくのでもなく, まず個として立ち,個として互いに向き合う というところから歩を進めたいものだ。

Thu 30-Apr-2010

花をつけたクレソンの茎は,地面を這わずに上に伸びてきた。 まず1輪,ついで2輪・3輪と花を開いていく。 いまのところ,5〜6本がそういうことになっており, そのうち成長の早いのは,種のさやを脇に突き出している。 どこまで増殖する気なのだろう。鉢に余裕はないのだが。 小さな蜂が花のまわりをめぐっている。 どこから来たのか,まあ,めざといな。 今年植えた別種クレソンも開花した。まず1輪。 こちらは,まだまだ控えめ。 パピルスの水の消費量が増えているようだ。 復活は近いのかもしれない。

Tue 27-Apr-2010

クレソンに,二つめの花が咲いた。 気がつくと,他にも,そこかしこに蕾らしきものがある。 昨年,控えめな態度で咲いたので,侮っていた。 今は,鉢いっぱいにもじゃもじゃ領域を拡大しており, 1年前の5cmや10cm単位のちょび草とは根本的に別物である。 まもなく,こわいことになりそうだ。 2週間ほど前,別の種類のクレソン(の野菜くず)を 土に植えた。こちらも,蕾を付けている。 新しい葉がようやく生えはじめたような段階で, 早くも次世代のことを考えている。 ミントにせよクレソンにせよ,これだけの生命力を持ちながら 地上の支配者とならないのが不思議である。

Mon 19-Apr-2010

クレソンが花を付けた。2度目の開花である。 野菜くずから育ち,パピルスの根元から専用鉢へと移って 順調に繁茂し,あげくにとうとう冬を越して現在に至る。 このなかに昨年の種から生えた株も混じっているはずだが, もじゃもじゃなので,もはや何が何やら,わからない。 昨年のバジルは冬場に完全に枯れたので, 新たにスーパーの野菜売り場で苗を買ってきた。 植え替えて,根付くには根付いたものの,葉っぱの色が悪い。 パピルスも,いまだ沈鬱。穂(種)から芽が出る気配もない。 さすがに少し考えて手入れした方がよいのかなあ。 ミントの暴虐ぶりは,言うに及ばず。

Sun 18-Apr-2010

1年数ヶ月ぶりに,冷蔵庫のある生活となった。 チーズや牛乳を買い置きできない悲しみはこれで終わった。 納豆が翌朝までに単なる煮豆に変わる日々も終わる。 そして今度こそ, 正体不明の物体が冷蔵庫内に溜まる生活様式を改めよう。

Mon 12-Apr-2010

仮面って,視界が制約されるし, 顎やこめかみが疲れるし。

Thu 01-Apr-2010

《月》の意味を確定することができた。 これでだいたい揃ったと思う。 しかし,論をなそうとするならば,公的な装いが不可欠だ。 それは少々厄介で,あれこれ,準備や切替えの作業を要する。 そこでまず,「神話」を記すことから始めようか。 水の音の神話。

Fri 19-Mar-2010

はれの日。 ひかりの何とまぶしいことか。

Thu 18-Mar-2010

いまだ「かたち」を見つけられないままだが, その影をよく見ていれば 適切なかたちがおのずから浮かび上がるだろう。 過速・抜け道には必ずしわよせがある。 急がず行けばいい。

Wed 17-Mar-2010

新顔ジャスミンのすさまじい芳香に家じゅう飽和状態である。 小さい鉢がヤスミン,大きい鉢はアレックス。 つぼみは尽きたが,花はもうしばらく保ちそうだ。 種から生えたレモンミントは 最初,なさけないミリ単位のくしゅっとした双葉だったのが, 今はそのへんの道端の草のように伸び放題である。 アップルミントもあぶらむし大発生のダメージから立ち直り, ふたたび元気。 その他の草も木々も,おおむねみんな元気だが, パピルスはもう少し英気を養うつもりか,静かにしている。 ラン・スー・ミキも花芽を出さないままだが, かわりに,鉢のなかほどに不審な双葉が出ている。 きみは,だれ?

Wed 10-Feb-2010

のりピー(のような人)と一緒に夜の街をさまよう夢を見た。 深夜スーパーの店頭で,傘か何かのトラブルで困っていたので 助けると,そのあと何となく行動をともにすることになった。 宝飾品の卸売り市場に行った。 ある店で,いくつか気になる品を見つけたようだが, 一度その店を離れた。 再び戻ってくると,店じまいの時間だった。 彼女がひどく残念がっていると,店主が奥から出てきて, 「気に入った様子を見せたということは,予約したのと同じだ」 などと言いながら,すでに包装済みの品物を手渡した。 その後もいろっぽい展開にはならなかったのだが, なぜか背中をかいてあげることになった。 背中一面にわたり,皮膚に加工のあとがある。 だからかゆくなるんだ,と後ろ姿につっこみを入れた。

Tue 09-Feb-2010

本年度後期試験答案の新造語大賞:   国際十六進分類法

Mon 25-Jan-2010

このひどい動悸。 振幅が激しくなっているからだ。 油断すると,これだ。いけない,いけない。 ほどほどに,ほどほどに。 歩幅を整えて,歩調を整えて, 大きな圧迫があったなら 軽くゆすって歪みをただし, そしてほどほどに,ほどほどに。

Wed 20-Jan-2010

チゲ喰えば 歯に遠からじ

Wed 13-Jan-2010

そういえば,「街を歩きまわる」型のバリエーションなのか, 「駅構内で迷う」というパターンの夢がある。 案内表示板を見て悩みながら通路を歩き回ったり, 乗りたい列車を探してプラットフォームを渡り歩いたり。 切符を買うのに苦労して乗り遅れることもあれば, 列車に乗ったあとのエピソードを伴う場合もある。 迷うといっても,大体はかなりのスピードで歩きつづけるが, 線路を跳び越えたり,列車の車体にしがみついて移動したり というケースもあった。 思い起こせばだいぶ異なる夢を,だいぶ繰り返し見ている。 イメージベースは,山手線内のターミナル駅のうち, 池袋・上野など,在京時に馴染みの少なかった駅の印象か。 今朝の夢は,××線に乗りたいのに,案内板には東急○○線 (よく知らない新設路線)の駅しか指示がない, というものであった。 とりあえず○○線の駅まで行くことにしたが, 途中のエスカレータがなかなか特殊で, 斜面でも階段状にならないタイプのものであった。 途中の平坦な箇所にターンテーブルが設置されていて, 道路のロータリーのように用いて方向転換するようになっている。 かと思うと,突然急勾配で下りはじめた。手すりにしがみつき, 何とか転げずに降りたが,後から来る人の様子を見ると 滑り台のように滑り降りるのが正しい使い方のようだ。 さらに,終点近くにだけ段がついており,それを使い, (スキーのジャンプ競技さながらに)跳んで地上階に降りる というものであった。

Tue 05-Jan-2010

これからすべきことが少しずつ見えてきた。というより, 語りたいこと,語るべきことは,元来ひとつしかないので, 想起したという方が正確だが,まあそれはともかく。 語るべきこと。 それは,適切なただひとつの形を伴って実装されるだろう。 というのは,それは「ことば」だからである。 なにがしか一般性を持つような考えや教えではなく, 内容を確保した上でそれを誰かに適切に伝えるために 適当な形式を採るというような段取りをとることができない。 ただひとつの形を伴って現れたことのはそれ自身が 語りたいことがらそれ自体である。 そうであれば,それは学術ではない。 そこでこのほど,論文の形式を模した論文ではないものを著した。 その作用により端緒を得ることができたが,問題はその先である。 実のところ,今までにも,何度も何度も表出を試みた。 最後まで到達したかどうかはわからないが,途中までは 何度も通った道で,全体の輪郭についても これまでの模索の産物から大きくかわることはないだろう。 しかし,いまだ適切な効果を供することがないのは 適切な形を持たせることができなかったことにほかならない。 どのような形に仕立てればよいのか。 そこでこのところ,文体,構成,それから何より, 導入(書き出し)について考えている。 しかしひょっとすると,仏像を彫るようなものなのかもしれない。 作り手の魂のうちか材料の木目の間なのかわからぬが,その形は どこかにすでに用意されているものかもしれない。 次の一歩は,計画の策定ではなく,形の発見なのかもしれない。

Mon 04-Jan-2010

情報通信用語には,アセンブラやコンパイラのように, 説明されてもさっぱりわからず (機能や特徴はわかるのだが,語源や語の成り立ちが理解不能) 発案者の言語感覚を疑いたくなるものがある。 実験・開発の現場で生まれた感覚的な(時に冗談含みの) 隠語もしくは比喩表現を起源とする語がとくに難物である。 そういったもの以外でも,日本語訳という手続きを経て 無茶を起こすものがある。   例:発行と引用    (まずはpublishという英語をよく知らないのだろうなあ。     こういうのは,書誌学や図書館情報学の素養のある人が     助けてあげなければいけないところかもしれない) そこで,原語の力に期待してあえて訳さずカタカナ表記, という流儀が注目を受けることになる。スタイリッシュである上, 読まなくてもわかる者にとってはきわめて便利だからである。 しかし,何となく通じてしまうという貫通性能ゆえに 呪文の如き洋画邦題さながらに 原義を理解する過程を省略して翻字に勤しむ手合いが現れるに至る。   例:リストは自分自身で作り上げるタイムラインで    (その他,あらゆるIT関連ヘルプファイルのほぼ全ての文) もっと言葉に愛情を持ってほしいものだ。 そんなこんなで,前から思っていたこと。bootstrapについて, 「まるで靴ひものようなプログラム」 「靴を履くときに靴ひもをつまんで履くように」 といった趣旨の説明を見たことがある。 お前,靴履くのに,靴ひもを指でつかんで足入れるのか, 本当か,俺の目の前でやってみ,ほれ,難しいだろ,おい。 しかし,私も,わかった気になっていただけだった。 私は,編み上げ靴において足の甲にそった部分(tongue)のこと と理解していたのだが,辞書をたぐると どうやら(一部の)ブーツについている革ひもを指すようだ。 ふつうの語法における靴ひも(縛り上げるための)ではなく, ループ状に縫い込んだひものようだが, まあ靴ひもといえば靴ひもである。 というわけで,この勝負,引き分けか。 この言葉を知ったのは日本の日常でブーツが一般化するより だいぶ昔のことであり,ブーツといえば長靴(=子供の雨具, 職業上必要な場合以外に年長者が履くとはずかしいもの)で, 歴史的・伝統的な服飾であるところのブーツについては よく見たことも無ければ頭の中の概念枠もなく,そのため bootstrapという語に接した際もブーツという部分を重く受けず, 単に履物という意味だろうと軽く解釈し,そして 靴において装着を容易にするものといえばこれかなあ, と自分の生活世界の範囲でtongueのことだと理解していたわけだ。 この一連の過程で,編み上げ靴に対する理解も間違っていた ということに気づいた。 ずっと,ひものあるスニーカーの古語だと思っていた。 私が子供の時分,子供靴と言えばひものないゴム製運動靴だった。 それに対し,徐々にひものある運動靴が浸透した。 ウィンカーのついた自転車のように,子供たちの憧れの的だった が,何と呼んでよいかわからない。 それを見て,母が「昔は,あみあげと呼んでいた」と言った。 これはおそらく,「方式として,編み上げ」というだけで, ひものある運動靴の意などという限定はなかったのだろうが, 自分では使用しない語ということもあって掘り下げられず, 会話や文章で「編み上げ(靴)」という語を耳にすると, 頭の中でひもつきの運動靴へと置き換えて 自分なりに理解することにした。 ところが今回,家人と話していたら, 「編み上げって言ったら,ふつうまずブーツじゃん」 とあっさり切り返された。 そんなもんだったんだあ。 というわけで,ここに至り,一連の話の筋が通り, 厄介な履物である(とくに編み上げ式の)ブーツを するっと装着するためのfacilityであるところのbootstrap のような,という比喩というわけだ。 ふと思えば,実態からすると,「まず小さいクレーンを 運びあげ,その小さなクレーンで大きなクレーンの部品を 順次引き揚げ,現地で大きいクレーンを組み上げて さらに大規模な作業を行なう」という様の方が 比喩として合っている気もするが, 暖房のため酸欠気味の部屋で考えていたら頭痛くなってきたので ここらで中断することにする。

Mon 21-Dec-2009

動物広場が急に雪景色になった。 ちょうどレベル20になって,ペンギンを飼いはじめたので, なかなかよいタイミングである。 ペンギンたちが「さむさむ」と手を口元に寄せたりするのは 雪景色仕様の動作なのか。それとも,いつもそうなのか。 ダチョウやウシ(黒)などは普段どおりに歩き回っている。

Sun 20-Dec-2009

4年特殊演習中間発表会,卒業論文提出と続き, ゼミの収穫週間となったのにちなみ, パピルスの刈取りを行なった。 といっても,主目的は冬じたくのための間伐なので, まだ穂の青い茎もだいぶ伐った。 茶色い粉をふいている(たぶん種を撒き散らしている)のは 問題ないと思うが,青いのはもう少し待つべきだったかなあ。 刈り取ったあとの穂の処置もわからない。 とりあえず穂の部分だけ切り取ってバケツに入れ, そのまま乾燥させることにした。 春が近づいたら新しい鉢の新しい土の上に敷きつめようと思う。 種から育った種からくんやうっかりくんの前例はあるが, この,バケツ半分にまで達する穂くんたちから, どれだけが芽を出すのだろう。 その前に,まずは株分けくんたちを枯らさぬよう, 引き続き冬じたくを進めたい。 じつは,まだまだ穂のついた茎が残っている。 鉢を部屋に入れるか,ビニールで囲いをつくってあげた上で 様子見ながらおいおい刈り取るつもりである。

Mon 14-Dec-2009

こまレモンミントは,どうやら種からくんのようである。 アップルミントのようにいきなり繁茂するわけではないが, 着々と大きくなっている。 当初二つ三つだったのが,今は五つ。 ほかにも,不審なちょびっとくんたちが,ちら,ほら。 先輩のレモンミント株は,その後あまり展開を見せない。 ただ,もともと一度枯れかけて再び葉を出したわけで, 好きにさせておこう。

Sat 12-Dec-2009

月下美人とマツバボタンはもういらないから。

Sat 05-Dec-2009

パピルスが軒並み枯れ色になってきた。 そのうち,穂の出ていない茎を間伐してみたが, 穂の出ているものの扱いをまだ決めかねている。 アップルミントは相変わらずにぎやかに展開しているが, 日差しが減ったから,蔭になる葉や枝は順次枯れていくし, 地面を這いながら鉢をはみ出して伸びている枝は, どこまで行っても土がないことに気づいたのか, このところ延伸を止めている。 クレソンも,盛大な繁茂は止まったようだ。 一方,クレソンの蔭に隠れていたブロッコリーの芽は, 少し陽が当るようになったためか数cm規模に成長したが, これもさすがにここまでかもしれない。

Wed 25-Nov-2009

よくよく思い起こしてみると, 「入院中,トイレが安らぎの場だった」というのは, ちょっと違うようだ。 用が済めば普通にさっさと出てきたものだ。 まして,いつもトイレに行きたかった,なんてこともない。 同室者に巨人ファンが多かったのは難点だが, 病室や病棟の居心地が悪かったわけではない。 夢自体も,一人になりたくて逃げ込みたくてトイレを探す, というような悲愴なものではなく, 単に,「トイレに行かねば」と思っているだけである。 入院という特殊な状況下に置かれつづけたことが 歪んだ刻印を残した可能性はあるのだろうが, 結局真意はわからない。 それから,都市の用水路やコンクリート製の護岸構造物は 私にとって非人間性の象徴ではなく, むしろ好ましいアイテムである。 ドライブの途中でダムを見るのも楽しいし,あと, 臨海地区に工場や港湾施設の点在する光景も大好きだ。 だから,水路の夢は,人生や仕事に対する苦悩の現れ ではないはずだが,だとするといったい何なのだろうか。

Tue 24-Nov-2009

レモンミントの鉢に出現した不審な芽くんたちが 着実に成長している。 小さな葉を薔薇の花のようにまとめた形だが, どうも色や質感がレモンミントに似ている。 などと思いながら見ていると, 開花して枯れたはずのレモンミントの枝に 新しい葉が出ているらしいことに気づく。 室内に移したためか,それともその少し前にドーピング (アンプル剤注入)を行なっていたのが効いたのか。 夏場に枯れはじめたから,単純な気温の問題ではない と思うのだが,まあよくわからないひとたちだ。 というわけで,地面の芽も,種から発芽したのかどうか わからなくなった。 地下活動を活発化し,四方八方に進出した ということかもしれない。

Mon 23-Nov-2009

よく見る夢がある。 三種類あって,ひとつは,ダムだとかコンクリート製の水路の中 や脇を,何かの事情で行き来しなければならない,というもの。 毎回別の場所(違う構造)だが,必ず途中に障害がある。 狭い足場を通らなければならないのに配管が邪魔しているとか, 高所でぶらさがるようにして通過するような箇所がある,など。 マリオブラザーズのような具合でもあるし,テレビの バラエティ番組のアクロバティックな挑戦企画のような そんな具合でもあるが,空気が乾いていて, ゲームやテレビの世界と感触が異なる。 つぎに,合宿所の施設内でトイレを探しながら歩き回る, という夢をよく見る。 現実にはとくにトイレに行きたいという状況でないことが多く, あくまで夢の中の事情でトイレを求めている。 やはり毎回全く異なる施設で,宿泊の理由等,状況も違う。 これはある程度,原因がわかる。 先年,病院の六人部屋に何週間も入院した記憶に起因する夢 だろうと思う。 入院した愛知医大の病棟は,トイレが比較的清潔で助かった。 そしてトイレは,ほっとすることのできる数少ない場所だった。 そんなことが夢へとつながっているのだろう。 ただ,入院の記憶が薄れても,なお繰り返し見る夢だから, 他にも何か原因があるのかもしれない。 第三の型は,ぐるぐるうろうろと街を歩いて抜ける夢である。 高台の住宅地を進んだり,古い商店街や屋台村を通り抜けたり, といった具合に,やはり毎回設定が異なる。 目的がはっきりしているのに迷ってなかなか到達できない場合と, 散歩のような少し気楽な気持ちで歩き回る場合とがある。 これも理由を推測できる。 国内外問わず,どこを旅行しても わりに日常的なところを歩き回ることが多く, 目的地があるとしても車でぱっと行ってぽっと用事を済ませる ということが少ないのだが,何かそういう経験が このような夢につながっているように思う。 それから,減量期間中のウォーキングの記憶も加わっている のかもしれない。 また,十代の頃には,自宅の周辺や街を徘徊することがよくあり, 大学入試の模試のとき,数学の時間だけ抜けて近くの街を散策した (というか,道に迷って戻れなかった)ということもある。 そんな,「些少な流浪」を好む嗜好が最も大きな要因だろうと思う。 今朝の夢は水路型で,舞台は瀬戸川であった。 実際の瀬戸川とは全く違うのだが,夢の中でそう呼んでいた。 周囲の道路を通ることは選択肢になく, なぜかあくまで護岸の施された川筋を移動しなければならない。 河原もなく,コンクリート製の水路が続くだけである。そこを ふだんはターザンのように綱につかまって越えるのだが, 祭日だから放水イベントがあり,ふだんどおりに行こうとすると 水をかぶったりそのために手がすべったりしそうで怖い, と考えたりしていた。

Sun 22-Nov-2009

風が吹いたり,傍を通りがかって鉢が揺れたりすると パピルスの穂が飛び散るようになった。 熟したと見てよいだろうか。 新芽を保護するため,アボカドを室内に移動。 ユーカリも葉の色が悪いので,撤収。 レモンミントはすでに枯れかけているが, 根元に不審な芽がいくつかあるので, 様子見のため暖かい部屋へ回収。 すこしずつ,冬じたく。

Tue 17-Nov-2009

一日3回,オロニャイン。

Fri 13-Nov-2009

利や名を追い求める者の発言ではなく 今どこかで起きている事件や人々の集合的鼓動でもなく 好ましい文字による心地よい言葉が 途切れずにしかし多くは続かずに画面に連なっていく。 そのようにTwitterを調整することができて私は 情報とか知識とか思想とか感情ではなく 人間や人類や個人や人格ではなく他人でもないところの 「ひと」を感じている。

Thu 12-Nov-2009

樹木も,いずれ枯れるようだ。 それにしても,うさぎを捕まえることができない。

Wed 11-Nov-2009

「みんなの農園」って,樹木類は収穫後も畑に残るんだあ。 木ばっかりになってしまった。

Tue 10-Nov-2009

残る1本の水差しミントの葉が真っ黒になって縮れた。 茎は最後までしゃんとしていたが,とうとう根を出さなかった。 諡号,Apple III。 ところで,水差しブラザーズを含め,アップルミントは 元気旺盛なくせに,枯れるとなると枝ごと潔く枯れてしまうが, レモンミントは傷みはじめて何ヶ月か経過したのに いまだ植物としての原型を保っている。 芽や葉先が枯れているから,機能不全に陥っているはずだが, 全体が朽ちるまでには至らない。 強風であっさりぽっきり折れたパピルスも, 起こして添え木を当てたらいまのところ枯れずに過ごしている。 強いんだか,弱いんだか。 しばらくおとなしかったアボカドが新芽を出し,成長を再開。 本気で育てると結構な高さになるらしいし, 実をつけさせるならこうしろああしろ,と面倒そうなので, 「きみは草だから」と言い聞かせることにした。

Tue 03-Nov-2009

鉢に植えた水差しブラザーズがなかなか元気である。 窓際でぽかぽか陽をあびてやわらかな枝と葉を広げている。 目下のところ,3兄弟となっている。 プルツーとLISAは,それぞれ枝を増やした。 3本目(GSと命名)は,根をちょろちょろ出したあと, 伸びが止まったので鉢に移すのを見送っていたのだが, まあいいかと思って植えてみたところ,数日で成長を始めた。 あと1本が水差しのまま残っている。 これだけが元気がない。 葉がすっかり変色したのでばっさり落とし, 茎の中ほどから出ている小さな芽に賭けることにしたが, どうなることか。 同じように手入れしても,何かのちょっとの都合で 成長したりしなかったりするなあ。 そういえば,プルツーは,オリジナルの枝がちっとも成長せず, あとから増えた枝を大規模に展開中である。 いろいろだなあ。

Mon 02-Nov-2009

昨今のパピルスの繁茂を「デパルカの暴虐」と名付けてみた。 しかし実際には,パルカ鉢も軒並み同じ規模で展開しており, そこにみゆきさん株が加わって乱戦もようである。 パルカもデパルカも元は同じ,はるかさんの育成したパピルスで, ある程度大きくなった段階で後からもらい受けた株をデパルカ と呼び分けたものである。しかし,当時,パルカが ブルガリアヨーグルトの空き箱一つに収まっていたのに比べ, デパルカが段違いに大きかったので,別の生き物にさえ見えた。 デパルカは今年の初夏にしばし成長を止めた(デパルカの沈鬱)が, 復活後も,しばらくはパルカ系に比べ,ひとまわり大きかった。 元が同じでも,環境によって少し違う展開を見せるようである。 一方,最近になってパルカが急激に追いついたが,それについては デパルカ鉢が手狭になって成長が鈍ったということか。 みゆきさん株は細いままぐんぐん高くなる種で, 一時はデパルカの頭越しに飛び出ていたが, 最近,デパルカやパルカの背丈がほぼ追いついた。 もともとパルカ系は幅広の葉をふさふさ付け,茎も太くなるので, 今となっては,パルカ系の森林の合間に時々みゆきさん, という状況である。 ただ,細くて背が高くてよくしなるから, しばしば茂みから飛び出し,何か語りかけてくる。

Sat 31-Oct-2009

アパートのエントランスにカマキリがいた。 秋風の中,通路の真ん中でふらふらよたよたしているから, ほっとくと誰かに踏まれるか ビル風の吹きだまりで遭難するかしそうだったので, パピルスの鉢で余生を送ればよいと考え,連れ帰った。 すぐつかまったが,警戒心はあり,ずっとおどおどしている。 とりあえずパルカの葉に載せると, しばらくそのへんの茎や葉にしがみついて風に吹かれていたが, いつの間にかいなくなっていた。 飛んでいく力,それから,何かしなきゃと奮起する元気を まだ持ち合わせていたようで,それはそれでよいことだ。 かまくんだったのかもしれないが,もちろんわからない。 かまくんでないとしても,少なくともこの近所で カマキリの種としての行動が続いていること,それだけは確かで, どこかに卵が産みつけられていないか,つい探してしまう。

Sun 25-Oct-2009

パルカ系(はるかちゃん株)のパピルスが穂をつけた。 いつも根元の健康ばかり気にかけているので, うかつにも見落としていたのだが, 今朝見るとすべての鉢に穂をつけた茎がある。 という前に,こいつら,いつの間にこんなに伸びたのか。 みゆきさん株はずいぶん前に2回ほど穂を出しているが, 今回はとくに動きがない。 葉の形も茎の太さ・高さもいろいろ違うから, だいぶ種類が離れているようだ。 うっかりくんや種からくんは,すでに先輩株の根元に隠れ, いまひとつ様子がわからないが,とりあえず元気そうである。 で,そういうことからすると,今回の穂からまた種が落ち, ほっとくとどんどん株が増える可能性がある。 既存の株だけでも鉢がすでにいっぱいぎゅうぎゅうだから, どうしたものか。 初夏頃の悪夢のような「デパルカの沈鬱」が頭をよぎる。 これだけ大きくなると,株分けは道路工事並みに大変だけど 冬を迎える前に何とかしないと。

Sat 24-Oct-2009

もう1匹,青虫をみつけた。 プルぞうに取りついて,ずいぶん食い荒らしている。 香りのよい柔らかい葉っぱだから,そりゃおいしいよな。 数日のうちにあちこち何十枚も葉がやられている。 毎朝丁寧に様子を見てあげないといかんなあ。 水差しミントは,3本めが根を出した。 しかしなぜか2日経過してもあまり根が伸びないので, 水差しのまま経過観察中。 料理のあとに残ったスプラウトのパックのスポンジを クレソン鉢に置いてから,しばらく経過した。 スポンジを覆い隠して繁茂するクレソンの合間に, ちゃんとブロッコリーの葉そっくりの芽が伸びている。

Fri 23-Oct-2009

おおもとのアップルミントについては,プルぞう と呼ぶことにした。(やけに大きくなったので)

Wed 21-Oct-2009

また水差しミントから根が出た。2例めである。 一日で一気にやらかしたようで, 数本の細い根が鞭毛のようにしゅっしゅと出ている。 プルツーと同じ時か,少なくとも前後して水差しにしたが, 枝の先端ではなく,途中から分かれた枝であるという特殊事情 が発達が少し遅らせたのかもしれない。 途中で茎を切って短くしたりするうち,1週間遅れで根が出た。 根の数が多いので,さっそくプル鉢に植えたが, 葉の色が芳しくないから,根付くまで不安な日々が続きそうだ。 ところで,LISAと名付けようと思うが,少しまずいか。

Tue 20-Oct-2009

オリーブは青虫に喰われていることが判明。 若葉が出たのをすかさず見つけてとりついたらしい。 前にクレソンを食べまくった虫と似ているが, 今回はクレソンには見向きもしていない。 もっとも,以前もほかからクレソン鉢へと民族移動したし, オリーブを食い尽くしたらほかへ目を向けたかもしれない。 もちろん虫は退去処分だが,すでにダメージは大きい。 剪定して伸びなくなった一件からすると, 何かあればすぐ萎縮する性格のようだから, 次の成長再開がいつ,どんな時なのか,今はわからない。 残りの水差しミントは,いまだ根を出さない。 うち1本の葉の色が悪くなっている。 元気旺盛だったバジルは,日照が減ったせいか,気温のためか, 下の方からどんどん葉がしおれている。 冬になれば枯れる(ことが多い)ようなので, 今のうちにどんどん葉をもらっておくか。 一方,もじゃこ・もじゃおは,新しい鉢がとても気に入ったらしい。 もじゃおは元の3倍近い鉢を覆い尽くそうとしている。 もじゃこはまだ規模を拡大していないが, 新しい色つやのよい葉をもじゃらせている。

Sun 18-Oct-2009

オリーブの若葉が一斉に枯れた。 病虫害のようなやられ方だが,余分な肥料のせいかもしれない。 パルカ鉢も,新芽の傷みが再発している。 こちらは気温が上がって地中の雑菌が増えたのか。 そうそううまくいくものではないなあ。 プル鉢はとりあえず順調で,地表でふきのとう状態だった双葉が 4日間で1cmを越える葉茎に成長し,合計で3本がぷるぷるしている。 まだひわひわなので,先のことはわからないが, まあお互い,その日その日を過ごしながら,ぼちぼち進みましょう。

Fri 16-Oct-2009

鉢に触れただけでぷるぷる震えるので, 略してプルツーと呼ぶことにした。 葉の向きをかえたというのは勘違いかもしれないが, それより,いつの間にか枝が増えているような。 一方,地面すれすれの葉については, 土がかぶらないよう大事に扱ったのが功を奏したのか, ただ単に丈夫なのか,着実に成長している。 これもいずれ,葉茎となるのかもしれない。 蘭も,微妙に葉を増やしている。 これまで北の窓際に置いていたのだが, 少し強い陽に当てようと思い,プル鉢の隣に置いた。

Thu 15-Oct-2009

鉢へと移した水差しミントに,Apple IIと名付けた。 茎が細長いため,しなって葉が地面に接触しそうなところを ぎりぎりで持ちこたえている。 朝になって鉢を窓際に移動した。 カーテンで傷まないよう横向きに置いて, 1時間ほど後に覗いてみると,葉をちゃんと窓のほうに向けている。 まずは1日めを順調に過ごしたようだ。

Wed 14-Oct-2009

誤って剪定したり,傷んで折れたりしたアップルミントの枝を 何本か水に浸けて延命させている。 そのうち1本から根が出たので,鉢に植えた。 定着するだろうか。 昨晩,下の節から根が1本ちょろっと出ているのを見つけ, それで鉢に移すことになったのだが, 今朝,植えかえる際には,二つの節から数本が伸びていた。 元気だなあ。 ほかは枝の長さが短かったりして条件が悪いため, 根を出せないかもしれないが, とりあえず枯れずに楽しそうにしているので,まあいいか。 レモンミント(みかんちゃん)は花をつけた頃から弱りはじめ, 先端から枯れが進んでいる。 いずれ,株全体が枯れるのだろうか。 しかし,翌朝にも枯れて死にそうな風情の初期状態からすれば すごい進歩で,とりわけ,花をつけたのは大したことだ。 パピルス(デパルカ)の根元のクレソンも,弱っている。 以前は,デパルカの根元でとても幸せそうな様子だったが, デパルカとアッペヨッペブラザーズが激しく成長し, 水消費量が多くなったために根元に余剰水分がないのだろう。 残った元気組を専用鉢に植えかえたが,間に合ったかどうか。

Tue 13-Oct-2009

あ,えーと。 「すべきこと」はあまりよくわかっていないのだった。 とりあえず確認できたのは, 昔も今もかわらず「原理」が適用可能であること, そして事はそれほど複雑ではない,ということである。

Mon 12-Oct-2009

体制の懐でアナーキズムの果てしない夢を見るのと 規範のない世に在って常識の幻へと届かぬ手をのばすのと いずれが不幸でいずれが無謀なのか 規範がなくなった以上それもわからないわけだ。 実のところ逸脱は最小限に抑えられていて ちょっと停止線からはみ出て信号を待つという そんな個性が街にあふれ とはいえ折れた物差しとよじれた巻き尺が散乱しているので うっかり踏まないようご注意ください。 こんな日を予感して憂えた記憶もあるが もといたところが楽園だったわけでもなく。 大概,根っこの部分はそうそう大きく変わるわけではないから, すべきことはただひとつ,変わっていない。

Tue 06-Oct-2009

我が家の植物は,すべて私以外の意思に基づいて育てている。 要するに,世話係を引き受けさせられたという構図である。 元来植物好きというわけではなく, たとえば,花や木の名を絶望的なほど憶えられない。 まして,肥料や土壌について勘考するのは,性に合わない。 植物は文句を言わないから,植物は嘘をつかないから。... それはただの定型表現,誰かの思い込みにすぎない。 植物は,自ら動かないというだけであって, 遺伝子に忠実という意味で実に自分勝手な生き物だ。 発話しないというだけで,常に何かメッセージを送ってくる。 うるさい,うるさい。 そして,しばしば嘘を言う。 油断も隙もない。 まあしかし,手を入れれば,いずれ必ず何か反応があるので, それはうれしい。 多少ほっといても大丈夫,あるいはほっといた方がよいことも多く, 時間がゆったり流れているように見えるが, 大体において,1日でも水をあげなければしおれ, 朝寝坊して日光を当てるのが遅れれば途端に元気をなくし, 植物にとって,1日,半日,さらにもっと小さな刻みの時間が すべてそれぞれ貴重な時間である。 そのことがうれしい。

Mon 05-Oct-2009

クレソンやサボニム(コダカラソウ)の鉢に余裕がなくなったので, 方針を変え,雑草を抜いたり伐採したりするようにした。 もっとも,我が家のバルコニーは概して雑草みたいな植物ばかりだが,  (1) 勝手に生えてきた という当然の前提に加え,  (2) ほかの種を圧倒するような繁殖力を持つ という属性がある場合に,(狭義の)雑草と解釈している。 さて,サボニム鉢に,1本だけ,何とも丈夫な雑草があった。 なかなか引っこ抜けないので,放置したら, 抜こうとした時のダメージもやがて癒え,15cmくらいに伸びた。 ふと思い起こすと,その生えている場所に,心当たりがある。 すぐ画像検索してみると,やっぱこれって,アボカドの葉。... 料理あと残ったアボカドの種を戯れに鉢に埋めておいたのが, いつの間にか芽が出て,知らないうちに育っていたのだ。 たくましいなあ。

Sun 04-Oct-2009

成長を止めたオリーブ。 買った時の値札に「アルカリ性の土を好みます」と書いてあるので, アルカリ分の強い肥料を買ってきて土に混ぜ込んでみた。 効果てきめんで,ほんの数日で元気を取り戻し, うれしそうに新しい葉を広げている。 成長が止まったあと,成長再開を促そうと思って 茶色に変色した枝先を切除したりしたのだが, そんなことをした枝はまだ復活していない。 もっと前に成長を止めていた(剪定を行なわなかった)枝だけが, 元気に新しい葉を出している。

Wed 30-Sep-2009

自らが物ではなく言葉の中に住むことを覚えよ。 確かに,まず言葉を疎んずる必要があった。 しかし,目指すのは雲ではない。 海はあくまで地に載るもの。 うっかり雲になってしまったら, すかさず雨となって地に降りるがよい。 降った勢いで,はからずも地中にしみ込んだとしても, やがてまた地上へと湧きだせばよいことだ。 言葉に囲まれ,それらと対峙することを責務と覚え, それら言葉に対し,最善を尽くすこと。 そのうちに,地表を良質な言葉が埋めるだろう。 それが,持ち越されつづけた生に息を与えることだろう。

Tue 29-Sep-2009

もじゃこ・もじゃおがおとなしくなったので, こちらも植えかえてみた。 蘭はすでに3本とも花を落としたが, その後,それぞれ,新しい葉を1枚ずつ増やしている。 あれ,竹って,イネ科なんだあ。不思議。 イネ科とカヤツリグサ科は同じカヤツリグサ目に属するそうで, 竹をタケ科として別個に扱う場合も近い系統なのは変わらないから, いずれにせよ,パピルスと竹は親戚関係であるわけだ。 パピルスの芽がタケノコに似てるのは,そういう事情かも。

Mon 28-Sep-2009

バルコニーの植物群は,とりあえず盛夏と残暑を乗り切った。 いま一番の元気くんは,ミントである。 2株が成長したので,このほど大きな鉢に植え替え, 予定どおり「リンゴちゃん・ミカンちゃん」と呼ぶようにした。 とくに,リンゴちゃんがなかなか凄いことになっていて, かな〜り伸びて,枝も増えている。 大きな鉢に植えかえたのに,ほとんど事態が改善されていない。 それと,2種類の別の色の枝を伸ばしているのだが,何なのだろう。 褐色の方の枝は,日に数センチ伸びたこともあり,けっこう怖い。 パピルスの「本体」はどうやら地中にあるようなので, 地上部の茎を容赦なく間引きすることにした。 その犠牲のおかげか,太さと高さの両面で全体の規模拡大が著しく, ほとんどの鉢で,一番のっぽがバルコニーの柵を越えている。 うっかりくんも,種からくんも,まだかぼそいものの,元気は元気。 腐葉土の不具合でダメージをくらった株も,ほぼ立ち直った。 芽の先端(いずれ葉の先端になる部分)が軒並み茶色に変色していた (色が変わるだけではなく,変質して固着する)のだが, そうなってしまった芽をどんどん摘むうち, 最近になって,新芽がおおむね綺麗な緑ばかりになってきた。 そんな中,オリーブが相変わらず成長をとめている。 そういう時期なのか,肥料や水やりに問題があるのか,何なのか。 園芸を趣味にするつもりはあまり無いのだけど, 少しは調べないといかんかもなあ。

Sun 16-Aug-2009

本年度前期試験答案の新造語大賞:   牛皮紙 正答は「ベラム」なので,外角低めのきわどい球筋である。

Sat 15-Aug-2009

同じ作者の作品を読みすすめる。 「桜の国」などの作中の日常は 東京・中野区北部の街を舞台としているようで, 西武線沿線で育った者には,とりわけ深く沁み入るものがある。 中央線より南なので,厳密にはそこから少し外れるが, 中学時代の友人が住んでいた中野区中央町のことを思い出した。 新宿の高層ビル街を間近に見上げる立地なのだが, 豆腐屋さんのラッパの音がいつも聞こえているような のんびりした独特の空気を持つ街だった。

Fri 14-Aug-2009

こうの史代『この世界の片隅に』『夕凪の街 桜の国』を読む。 笑みと涙とが交互に訪れ,静かで確かな情が残る。 ふと,心の中の棘が溶けはじめていることに気づく。 作中の言葉に起因するものではなく,感覚的な作用のようだから, 自分の変化に手応えを感じてよいと思う。

Thu 13-Aug-2009

近所の駅前の路上で,聞き慣れた異国の言葉を耳にする。 「何て顔してるの。泣かないで」などと言いながら, 3人で抱き合ったり,手を握ったり肩を叩いたりしている。 外語大に通う留学生で,一人が在学期間を終えて帰国するとか, 休暇を利用して訪ねてきた友達との別れとか,そんなところだろう。 あるいはその前の,再会の場面かもしれないが,いずれにせよ 彼女たちのいるところだけ温度と湿度が高く感じられ, すぐ通りすぎたのに,うれしい気持ちはずっと残った。

Wed 12-Aug-2009

かまくんがいなくなった。 今度こそ本当に旅立ったようである。 長雨が終わり,朝からたいそう暑かったので, 何か,環境に大きな変化を感じ取ったのかもしれない。 数日前にはまた脱皮して大きくなっており, とくに昨日は,こっちの鉢,あっちの枝と落ち着かなかったので 何となく予感のあったところである。 だいいち,このままバルコニーで一生を終えたら大変だったから まあ,よかった。 我が家で2ヶ月間を過ごしたことになる。 6月初旬に,かとんぼのような小さいのがやってきた。 いつも,今朝はいないなあと思ったら,ちゃんといた。 物蔭にいたこともあるし,別の鉢にいたこともあるが,たいがいは パピルスの茎や葉に紛れて発見が遅れたというものだった。 その間,殺虫剤がかかって全治2日間の重症となったこともあるし, せっかく来た仲間がまもなく死んでしまうという一件もあったが, 発酵の甘い腐葉土に羽虫が大発生したおかげで,すくすくと育った。 憎たらしいほどの大きさにはならなかったが, 十分にかまきりらしい姿に成長した。 水がかかりそうな時はすぐ逃げたが,指でつついたくらいでは動じず, もしかしたら,敵ではないと認識していてくれたのかもしれない。 どこに行ったかなあ。 近場に豊かな草原はないのだが,もともとこの近辺で孵化したわけだし, 新たな環境を見つけ,仲間を探しながら適当に過ごしていることだろう。 付近をときどき鳥が行き交うので, バルコニーから飛び立ったとたんに捕食された可能性もあるが, まあそれならそれでしかたない。 もともと,かまくんの幸せは羽虫たちの悲劇だったりしたのだし, 自然な流れでそうなるなら,しかたがない。 それにしても,ちょうど私の誕生日までここにいてくれたのだなあ。

Tue 04-Aug-2009

核爆弾の夢をたまに見る。 最初は高校生の頃で,あと20分で街に原爆が落ちる, という報せを聞き,そんなにすぐならもう逃げられないなあ, と思いながら自転車で道を走るという夢だった。 人影はなく,空気が張りつめていた。 耳鳴りのような,キーンという音が聞こえた。 原爆が爆発する前にはそんな音がするものだ,と誰かが言った。 自分でそう思ったのかもしれない。 形にならない恐怖と諦念の折り重なる不思議な感覚だった。 今朝は,自分が加害者となった。 核爆弾の入った20〜30cmほどの筒状の容器の端を口でくわえ, 起爆装置が作動しないようにバランスをとる,という, 危険きわまりない玩具を誰かがパーティに持ち込んだ。 皆が遊んだあと,私がそれを片付けることになった。 この不謹慎なゲームを皆はうまくこなし,無事に過ぎたのだが, 片付けの際に私が失敗し,まもなく爆発することになった。 家人もこの爆発に巻き込まれることだろうが, 近くに見当たらず,探しにいく時間もないので, かわりに家人の持ち物をかきあつめ, それを抱きしめながら,ごめんね,ごめんね,と叫ぶ夢だった。

Thu 30-Jul-2009

朝見ると,かまきりのうち1匹が鉢の脇の地面に臥せっていた。 すくい上げ,パピルスの根元に移したが,もうほとんど動かない。 他方,もう1匹はすこぶる元気で活動中。 高い湿度が苦手,という樹木は,このところ雨が多かったせいか 成長を止め,ずっと背の低かった別の木に追い越された。 どうも,サボニムの虫食い被害が止まっていないようである。 夜の間だけ出てくる虫なのか,証拠をつかむことができないが, 大きな株が軒並みだいぶ弱っている。 しかし,群生地全体としてはわいわいわんさか状態だ。 いくつかの時間が交錯しはじめている。

Tue 28-Jul-2009

かまくんがまた脱皮した。 昨晩のうちか,あるいは今朝早くに頑張ったらしい。 足先の葉の上に抜け殻が残っていたので,拾い上げると, 何となく不安そうな顔をした。 記念写真だけ撮らせてもらって,葉っぱの上に戻した。 しばらくすると,抜け殻は消えていた。 だいぶ巨大になってカーマン2号を追い越したが, こちらはこちらでまもなく脱皮しそうな様子である。 そもそも,同じ卵から孵った兄弟だったりするのかなあ。

Sat 25-Jul-2009

強風が過ぎたあと,かまくんが心配なので鉢を調べていたら, 1匹増えていた。 この風で,どこかから飛ばされてきたのだろう。 カーマン2号はかまくんより少し体が大きく,元気で短気だ。 互いの存在に気づいているかどうか,わからないが, とりあえず,かまくんとは別のパピルス鉢に居着いている。

Fri 24-Jul-2009

よわミントの葉は,虫のせいで傷んだものと判明。 かまくんは興味を示さず, 羽虫・アブラムシ用の薬剤も効かないようなので,手で駆除。 しかし,3鉢のうち1鉢は,もはや回復不能となっている。 マハラジャにも,いもむしが住んでいるのを見つけた。 育った姿を見たい気もするが,葉が潤沢なわけではないので, 今回は退去処分。 先日のうっかりくんは育ちきらずに枯れてしまった。無念。 その後,また2本のうっかりくんを見つけ,移植した。 こちらは,いまのところ順調である。 勝手に発芽したブラザーズはいまだ心許ない姿だが, そのうち,ハーブくんの新米はミリ単位ながら葉を増やしている。 パピルスの新米くんも,予断を許さぬひ弱さであるものの, とりあえず今日は無事だった。 心配と安堵とが小刻みに往来する。

Wed 22-Jul-2009

別の種類を買ってきた。 詳細はわからないが,売り場の札に,インド原産と書いてあった。 店頭でしなびていたものの,植えかえのために鉢から抜くと ぱんぱんになるほど根が張っており,かなり元気旺盛な様子である。 何より,この鉢だけは羽虫が寄りつかない。 外見も他とだいぶ違って,もじゃもじゃなので, マハラジャと呼ぶことにした。

Tue 21-Jul-2009

かまくんの活躍にもかかわらず,羽虫が大量発生している。 虫除け作用があると聞き,ミントを買いにいった。 時期が悪いのか,種が売り場になく,鉢も少ない。 小さな鉢をいくつか買ったが,すぐ枯れ始めるなど,状態がよくない上, あろうことか,思いきり羽虫にたかられている。 元気になったら「りんごちゃん・みかんちゃん」と名付けたいと思うが, いまのところ,総称してナムグン家と呼んでおく。

Mon 20-Jul-2009

かまくんが突然,ばびょーんと大きくなった。 前足も,チョビ鎌だったのが,えらくたくましくなっている。 かまきりって,脱皮しながら成長する生き物なんだっけ。

Sun 19-Jul-2009

蘭の3本の茎には,それぞれ添え木(棒)が当てられている。 順に,「First Blood」「怒りの脱出」「怒りのアフガン」と名付けた。 ところで,ロッキーのフルネームって,ロッキー・バルボアだったのかあ。 バルボア(Balboa)はパナマ共和国の象徴的英雄の名と同じで, この映画が話題になったのは私がパナマから帰国して間もない頃だから 当時知っていればだいぶ嬉しかったはずだ。 まだはっきりしないが,パピルスが種から発芽したようだ。 デパルカの穂(枯れかけた時に出ていた穂)を埋めたあたりなので, 期待が高まる。 ざぎちゃん(新顔のざござごしたパピルス)にも穂の出た茎があり, またまたうっかりくんが発芽している。 キム家に養子に出し,キム・イェスリと命名した。

Sat 18-Jul-2009

パルカ2号を植えかえたとき,顔を出したばかりの芽があった。 ほかの芽が順調な中,その芽は変色し,成長を止めたため, 思い切って刈り取った。 しかしそれが,今になって伸びはじめている。 頭が欠けたまま,伸びている。 先端部分を芽の本体と思っていたのが勘違いだったようだが, それにしても元気だなあ。 ランスーミキについて,葉っぱの存在を忘れていた。 すーっと伸びているから,葉柄がスーか。 とすると根っこは根本なのでミー,そしてケイは地下茎か。 いや,蘭に地下茎があるのかどうか,よく知らないが,それよりも もし果実ができるのなら,そのときが問題だ。

Thu 16-Jul-2009

昨日かまくんは,パピルスの葉の上で風に吹かれていた。 獲物を狙っているかんじではない。 もっと広い世界に行きたいのかなあ。 夜になって姿が見当たらないから,そのまま旅立ったかと思ったが, 朝になるとちゃんといて,捕食の体勢(逆立ち型)をとっていた。 かまくんはバルコニーの生態系で上位の立場にあり, 今のところここに鳥が立ち寄ることはなく,大きな蜘蛛もおらず, 危険は少ない。 いずれ,もう少し大きくなったら仲間を見つけないといけないし, いつまでもこのままではいられないが, まずは今という時をここで楽しく過ごしてほしいと願う。

Wed 15-Jul-2009

デパルカは完全復活したと見てよさそうだ。 久々に,新芽がいくつか伸びはじめている。 既存の茎も,少しずつ伸長を再開した。 ここまで,2ヶ月を要した。 ダメージの大きい茎を何本も刈ったため,だいぶ目減りしたが, 一番のっぽくんは健在で,バルコニーの手すりを越えようとしている。 パルカ2号(鉢を移動した方の株)も,すぐに落ち着いたらしく, もう新芽を出している。 この株分けの結果,元のパルカ鉢が寂しくなりそうだったが, 残りの株がめげずに繁茂していて,もはや何が何だかわからない。 一番新顔のざぎちゃん,デパルカの脇のアッペヨッペ兄弟, パルカから分家したキム姉妹も変わらず元気。 ハーブくん(ハビコ)も何とか新環境で落ち着いたようで, 小さな葉をいっぱい出しているから,まもなくまた 伸び伸び小僧になりそうだ。 ハビオは,当初不安だったものの,今はとても元気。 サボニムについては,鉢が混雑したせいか,増殖傾向が鈍った。 また,青虫が繁殖し,大きな葉が狙い討ちにされた。 青虫は途中でハーブくんの鉢に気づいたらしく, そちらに移動し,だいぶ食べ進めた。 (この時点になってようやく気づき,強制退去処分とした) かまくんは,パルカ鉢に長くとどまってダメージを癒し, 今朝はぴんぴん元気に運動していた。しかし,正直, 月曜の朝はショックで授業を休講にしようかと思うほどだった。   ↓ あやうく,こうなるところだった。   休講掲示:2限 図書館情報学概論(村主朋英)     事由:かまきりが体調を崩したため        ※レポート等による代替措置はとりません そのほか,ここ数日で,住民がまた増えた。 まず,鉢植えの胡蝶蘭を贈っていただいた。 「らんちゃん」という命名は避けたいと宣言していたのだが, 結局「ラン・スー・ミキ」となった。 茎が3本なので,それぞれラン(センター)スー(右)ミキ(左) ということだと思うが,別の解釈として,茎って幹だからミキ, それなら花の部分がラン,というわけで根がスー, ということなのかもしれず,よくわからない。 今朝は,蜘蛛を見つけた。 デパルカの葉とキム姉妹の葉の間に糸を張って移動していた。 これもまたまた,ちっちゃい。 このくもくん,それから,かまくんも, 最初はどこからどうやって来たのだろう。

Tue 14-Jul-2009

かまきりに叱られ,『ターシャの庭』のビデオを見る。

Mon 13-Jul-2009

一般に,人為・人工も自然のうちであること。 しかし,わたくしの手だけは自然のうちにないこと。 その手を縛っておけ。

Wed 08-Jul-2009

かまくんは,その後もう一度目撃されている。 鉢の間の地面を徒歩でのんびり移動していたそうである。 鉢が混雑してきたので,パルカを株分けした。 前の植えかえの際に既に2株に引き離しておいたので, 今回はそのうち一つを別の鉢に単純移動するだけで済んだ。 しかし,それでもストレスを与えたと思うので, また落ち着くまで少々心配な日々が続きそうである。 ハーブくんについても,ちょっと試行錯誤を繰り返したので, 元気を取り戻すまで不安が残る。 私がいじるたびに何か悪いことが起こる。 水と肥料だけあげて,あとは何もせずに過ごすべきかもしれない。

Mon 06-Jul-2009

今朝は姿が見えない。我が家のバルコニーは かまくんの晴れた日の活動場所なのかもしれない。

Sun 05-Jul-2009

5日ぶりに,かまくん来訪。 今回は,パルカの鉢にいた。 体がまた大きくなって全身が緑色となり, 同じ色のパピルスの根元で 差し込む日の光を浴びながら捕食モードに入っていた。 どうも我が家のパピルスを餌場と決めているようである。 ハーブくんを植えかえた。 水の清冽な湿地が好きで,高温は苦手らしいから パピルスの根元にいてとても幸せな様子だったが, どんどん伸びて訳が分からなくなりそうなので, 種が熟したところで引っ越してもらった。 また新しい鉢で順調に増えたら,一部を戻そうか。 しかし,その前にすでに 勝手に種をパピルスの脇に落としているかもしれない。 もじゃこともじゃおは,さらにもじゃもじゃしている。 鉢の土が全く見えなくなった。

Wed 01-Jul-2009

綾波におごれや。

Tue 30-Jun-2009

植木鉢の受け皿に溜まった水を流そうとしたら, かまきりくんが水に浮かんでいた。 当人に危機感はなく, あめんぼうのように水面をただよっている。 鼻先に指を差し出して救い上げ, 鉢の中に戻そうとしたが, そのままどんどん腕をのぼってきた。 肩,さらに背中へと回り込み,捕捉できない。 見えづらいところでむやみに手を伸ばすと危険なので, 家人に頼んで,脇からそっとつかまえてもらった。 この数日の間に,だいぶ黄緑色になっている。 パピルスの葉の上にのせると, すかさず捕食のポーズをとり,そのまま動きを止めた。

Mon 29-Jun-2009

みゆきさん株のパピルスをまた新たに頂戴した。 今度は背が非常に高く,また丈夫で, 鉢を地面におろそうとしたら, ざござご・ごわごわした葉で顔をしきりにつついた。 その触感から,「ギーザ」と呼ぶことになった。 少し発音しにくいので,通称を「ざぎちゃん」とする。

Sun 28-Jun-2009

今日もかまきりくんが来た。 パピルスの茎に後ろ足でつかまって逆さになり, ぷらんぷらんしていた。 捕食の体勢らしい。 パピルスの鉢には小さな羽虫がよくいるので, それを狙っているのだろう。 パピルスの根元には,その後も時折きのこが生える。 しかし,みんな,翌日までに消えている。 いったいあれは何なのだろう。

Sat 27-Jun-2009

かまきりくんがまた来ていた。 前回と同じく,キム家のパピルスの鉢にいた。 だいぶ大きくなっているが,たぶん同じかまきりだろう。 大きくなったといっても,2cmに満たないくらいで, からだの色も薄く,いまだに少し透けている。 敵に遭うことがないのか,手をのばすとあっさり捕まり, 指にまとわりついて落ち着いた。 パピルス鉢に戻すと,しばらくしてまたいなくなった。 ハビコの種のさや(と思われるもの)が色づいた。 ずっと,茎や葉と同じ,深い緑色だったが, この数日で,黄色に変わった。 ふと見ると,いつの間にか,茎の途中が地面に根付いている。 その鉢のパピルス(デパルカ)も,弱って危なかったのが ようやく元気を取り戻したようだ。 アッペ・ヨッペブラザーズは,いつの間にか, デパルカに負けないくらい高く茎を伸ばしている。 鉢がだいぶ窮屈になってきた。

Wed 17-Jun-2009

ハビオを少し大きな鉢に移した。 ハビコも一緒に植えかえるつもりでいたが, 種をつけたばかりの微妙なタイミングなので しばらく現状を維持することにして, かわりに,そのへんの雑草たちを植えかえてみた。

Tue 16-Jun-2009

今度は携帯電話を失くした。 心当たりをあちこち探したが,見当たらない。 着信音が鳴るように,家人の電話からコールしながら 経路の夜道をたどって歩いてみたが,見つからない。 いよいよ紛失か,と覚悟しながら帰宅し, もう一度家中を探したあと,最後にバルコニーに出てみた。 パピルスの鉢の中で,電話機の液晶がほの白く光っていた。

Mon 15-Jun-2009

先日,近所のどぶ川で,ヘビを見かけた。 岸辺ではなく,水中におり, 流れにのって少しずつ移動しながら しきりに護岸の様子を探っていた。 護岸は傾斜面で,登りにくいわけでもなさそうだが, なかなか水から出ようとしない。 巣穴になるようなところをさがしていたのだろうか。 ハーブくんがあまりにもはびこるので, 「ハビコ」と呼ぶことになった。 するとすかさず,「ハビオ」が我が家にやってきた。 今はまだしなびているが,今後,どうなることやら。

Sun 14-Jun-2009

ハーブくんが種をつけたらしい。 微小な青とうがらしみたいなものを何本か, 横向きに突き出している。 最初,根のついた3〜4cmの切りくずを2本植えた。 その後,茎がすいすい伸び, いつの間にか1本増えて3本となった。 15cmくらいに達したころ,先端部に小さな花をつけ, 1週間ほどで花びらをぱらぱらと散らしたあと また何日かの間隔を経て,この状態へと至った。 1本だけ出遅れていたが,今朝になると,3本すべてに 種のさや(と思われる青とうがらし)が生えていた。 直立せず,地面をひょろひょろと伸びていくのだが, 常に首(先端)を元気に上に向けている。 茎の途中からも根が出ているようなので, 少し土をかぶせたりしてみたが,うまく根づかなかった。 途中で茎を切って別のところに植えれば そこから根が伸びるのかもしれない。 マイクロ青とうがらしは,先端より少し下から出ている。 花が変化したものだとすると, とうがらしよりも上の先端部分は,花びらが落ちたあと, この数日で伸びたことになる。 どちらにしても,このままでは, パピルスの鉢がハーブくんでぎっしりになりそうだ。 ほかにも,いろいろ自主的に生えてきた。 基本的に園芸マインドを持たないため, 間引きどころか,雑草をとることもできないから, 困ったことになりそうだ。

Sat 13-Jun-2009

コンビニでお弁当を選びながら,ふと気づくと, 肩にてんとうむしがひっついていた。 黒っぽいてんとうむし。 そのまま,研究室まで一緒に来た。 こないだの赤いのも,こうしてついてきたのだろう。 室内で見失ったが,ちゃんと外へ出られたかなあ。

Fri 12-Jun-2009

数日前のもじゃこ。 数本の蔓が1cm程度,鉢からはみ出していた。 しかし,いまや,本数ベースで数えられない量となり, 最先端は,2cmくらい外に突き出ている。 すでに,鉢の土は見えない。 新しい土地を求めているのかもしれない。 買ったときは,10cmくらいのプランターに収まっていた。 すぐに口径20cmくらいの鉢に移し替えたが, その後もずっと,小さくまとまっていた。 それが,6月に入ってから急速に勢力を拡大し, まわりに広がるだけではなく,厚みもこんもりしている。 商品札には「乾燥を嫌います」と書いてある。もしや, 梅雨入りと聞いて,とたんに「うわーい」となったのか。 もじゃおに関しては,正直,どこがどれだけ成長しているか よくわからない。 明らかに当初の規模と違うし, 1週間前から比べてもだいぶ伸びているようだが, どこがどれくらい,と訊かれると,どうもわからない。 「だるまさんがころんだ」のような具合である。

Wed 10-Jun-2009

最近は「もじゃお」と「もじゃこ」の増長ぶりが著しい。 鉢からあふれて,どこへ行く。

Mon 08-Jun-2009

学内で,小鳥の遺骸を見つけた。 8号棟の近くだから,きっと,つばめのヒナだろう。 羽毛はほとんどなく,卵の中にいるようなぐあいに 半透明の体を縮め,目をぎゅっと閉じている。 家に帰って,植木鉢の片すみに埋めた。 今朝,その鉢のパピルスの株に小さなカマキリがいた。 半透明の,1cmにもならないのが1匹。 水やりを始めると,飛び去った。 蚊のような,かすかな羽音だった。

Sun 07-Jun-2009

久々に道端でねこになつかれた。 細身の黒ねこ。だみ声で鳴くから,だみ声で返事すると, また応答する。それを繰り返すうち,近くに寄ってきた。 歩き出すとついてくる。 素っ気なくあっちを向いて早足にして,だいぶ過ぎても まだ斜めうしろをついてくる。 少し引き返し,安全なところで落ち着くのを待って 路地をあとにした。

Wed 03-Jun-2009

サボニムの芽くんたちがだいぶ大きくなった。 最初の段階ではちょろ根がついた双葉のかけらにすぎず, しかもひっくり返ったままになっていることも多いのだが, 次第に根の部分を下にして起き上がるとともに 葉を両方向に広げ,ロゼット状になる。 その後,葉の間からまた2枚の葉が伸びて開き, その間からさらに次の世代の葉が出る。 上から見ると,横向き・縦向き,次はまた横向きと, 互いちがいにずれて葉が出てくる。 今は過半数が3段めの葉を伸ばしているところである。 窓際に鉢を置いてあるのだが, みんな揃って,日差しの入る方角に葉を向けている。 陽の光が好きなんだなあ。 今も過保護モードをキープしているが, ほんとうは日向に植える品種らしいから, いずれ,外でたくましく過ごしてもらうことにするか。 誰か少しもらってください。

Sun 31-May-2009

デパルカの鉢にアンプルを挿し,希望をつなぐ。 同じ鉢のアッペヨッペブラザーズとハーブくんはかなり順調。 ハーブくんに至っては,花をつけた。白い小さな花である。 念のため確認するが,きみは最初,野菜くずだったよね。 キム姉妹は約1週間で新しい環境になじんだようで, それぞれ新芽が出ている。 先日の夜,デパルカの根元付近に小さなきのこが生えていた。 半透明の白いのが,2本。 しかし翌朝もう一度見ると,見当たらない。 その後も,ついぞ見つからない。 枯れたのか,差し水で流してしまったのか。 あるいは,別の生態(形態)へと変化したのか。 姿も,現れ方も消え方も,幻のようなきのこだった。 サボニムの新芽のうち,早くに根付いた芽は もう3段めの葉を出している。 おおむね1段めと2段めはまんまるで, 3段めからぎざぎざの葉っぱになるようだ。 ただ,落ち葉から芽吹いた株だけは2段めで既にぎざぎざ。 何か手違いがあるのかもしれない。 それにしても,つぎつぎ芽が出てどんどん落ち, そのほとんどが根付いて大きくなるので,大騒ぎである。 とりあえず,あまり耕地面積を広げないことにした。 これにより,個体の大きさも増殖傾向も抑制されるはず。 しかし,つい,「近所の公園の花壇に芽を撒いたらどうか」 とか,不埒なことを考えてしまう日々である。

Sat 30-May-2009

デパルカの,以前に穂を出していた茎2本の傷みが進んだので, 根元から刈り取った。 今回刈り取った2本は,上の方,ほぼ同じ高さに横筋が出ていた。 ほっとけば,そこでぽきっと折れて頭を垂れたはずだ。 こうして,茎の途中でぽっきり折れるということが 今までもちょくちょく起こっていた。 葉についても,中程から,刃物で切ったようにすぱっと欠ける ということがある。 欠けない場合も,元気なくせに葉の先端や一部の葉だけが 枯れ色になるということがある。 元気旺盛なところと,ひ弱なところが混在している。

Sun 24-May-2009

デパルカはその後も変化がない。よくも悪くもならない。 とりあえず,折れた茎とすっかり弱った茎を刈り取った。 本格的に弱る直前,2本か3本の茎に穂が出ていたのだが, 十分な時間を経過したとは思われず,種まで持っているかどうか。 心配の日々が続く。 パルカの鉢を底上げした。 同時に,以前みっつに分けてあった株のひとつを別の鉢に分けた。 その際,さらにふたつの株に分けた。 パルカ一族の中でいちばんなよなよしてへなちょこなので, 2株のうち一つには「ナヨン」,もう一つに「ヘナ」と名を付け, 海藻のようにふにゃらかなので,姓は「キム(海苔)」と決めた。 キム・ヘナには,個性的で独立独歩のパピ生を送ってほしい。 キム・ナヨンには,明朗で地声のやたら大きな株に育ってほしい。 迫る初夏。いや,もうすっかり初夏なのだから, みんなしっかり基盤を構築し,すくすく成長してもらいたい。

Sat 23-May-2009

サボニムの正体がわかった。 「サボテンだ」という簡潔な説明とともにもらい受けたものの 葉が厚いというところ以外はそれっぽくないと思っていたら, そのとおり,多肉植物というだけで,サボテンではないらしい。 「葉っぱの縁 芽」といった語句を並べて検索したら, いくつかWebページやBlogを見つけることができた。 あるサイトには,類種に関する記述も掲げられていたが, 形や色から,サボニムの属する種を特定できた。 読み進めると,すごいことが書かれている。 「切り離した葉から芽が出て増えます。」 先日,弱って落ちた葉を鉢の地面に置いておいたのを思い出し, あらためて見てみると,おおっ,ほんとうだ, ちゃんとしっかり葉の縁に小さい芽ができている。 どうやら,ある程度状況が悪くても増殖できそうである。 つづいて, 「大きく育てたい時は,ひとつの鉢に1株だけ植えます。」 実際,植えかえのとき,一番大きい株を単独で植えたら, すくすく成長を続けて,他との差がさらに広がった。 これまでのわずかばかりの経験でも, ほかの株や鉢などと干渉すると葉が溶けるように弱るので, その性質の延長で,まわりに何かあれば大きくならないようだ。 ちなみに,単独で植えると,だいぶ成長して花ができるらしい。 長大な花をぶら下げたその写真は, いまのサボニムたちと比べると,まるで別の生き物である。 さらに,不穏な一言が。 「ほっておくと,勝手に芽が落ちて成長し,どんどん増えます。」 我が家の数ヶ月後が懸念される。

Thu 21-May-2009

要するに機能不全を起こしているようだ。 系統の損傷のようなおおごとでもないはずだが, 事態が硬直化しているところからしても 一時の気の迷いではなさそうで, さてどうしたものか。 とりあえず地面をつくりなおすことはできたから, ここにあらためて根をめぐらせ 徐々に生気を取り戻すのを気長に待つことにしよう。

Wed 20-May-2009

実はデパルカがずっと心配な状態である。 あちこちで,先端から葉が枯れている。 一部の葉が枯れるというのは随時起こる現象らしいが, それにしても多い。 また,元気旺盛なパルカに比べて茎や葉の色が薄く, 何より,だいぶ前に生じた芽が成長を止めてしおれており, 明らかに異状がある。 推定される原因はまず,長いペットボトル生活に求められる。 あくまで移動のための一時的な容器だったから, 地上分の体積に比べて手狭で土の盛りも少なく, 深さや広がりが抑制された。 その環境に合わせ,展開しない(現状維持の)生態を選んだ のかもしれない。 また,水が抜けず,閉鎖的な湿地のような状態だったから, 土質が低下したり,菌が繁殖していたのかもしれない。 さらに,植えかえのときにもその土を流用したので, そんなこんなで弱ってしまったか。 ただ,植えかえの際に「元肥入り」という土を大量に加え, 栄養は多いはずだし,何よりも 同じ土に植えたアッペヨッペとハーブくんは元気である。 やっぱりよくわからない。 その他,植えかえ作業によるダメージもあるとは思うが, そもそも,衰えが目立っていたので急ぎ植えかえたのだし, その後の1週間で傷みが急速に進行したわけでもないから, 結局のところ,原因は確実にはわからない。 実際のところ,現状がどうなのかもわからない。 今はとりあえず植物としての体裁を保っているが, 枯れていく途中なのか,これから持ち直すのか。 あるいはそれとも,このままの様相でずっと過ごすのか。 当初の,可憐なパルカに比べて猛々しくふてぶてしい あの姿に戻ってほしいものである。

Tue 19-May-2009

2ヶ月前のサボニムは「地表に置いてあるだけ」状態で, つまむと簡単に持ち上がったが, その後しっかり根を伸ばし,安定した。 ここ数日は,直射日光の当たらない窓際に鉢を置き, 噴霧器を使ったり,鉢の隅からちょろちょろ水を流し入れて 慎重に水分補給を行なっている。 その甲斐あってか,傷みの進行は止まった。 鉢はCDのスピンドルケースを流用しており,半透明だから, 時々覗き,底の方に水が溜まってないか確認する。 湿気で軽く結露するくらいを目安としている。 昨日,そんな確認作業を行っているとき, 何だか,底や側面に白い筋が伸びていることに気づいた。 いつの間にか,細く長い根が鉢の中を横断していた。 デパルカのようにぐるぐる網網になったわけではないが, 地上の体積に比べてえらく長いものをするすると這わしている。 この力のおかげで少ない水でも元気に育つ,ということか。 当初は,体積に比べて土が多すぎるかもと思っていたが, 全く問題なさそうで,むしろ鉢が手狭に見えてきた。 新芽は,2枚セットの葉っぱに,微細な根のついたものである。 新しい鉢に土を入れ,適度な間隔を置いてぱらぱら蒔いた。 「ちいさいのが9粒」なので,「セッキ時代」と呼ぶことにした。 一昨日まで「折り畳まれた葉っぱが地面に落ちてる」 というだけだったが,昨日の陽気のおかげか,みんな, お吸い物に入れた新鮮な貝のように葉をぱかっと広げ, そろって上を向いている。 その中に,それぞれ,次に開く予定の小さな双葉が見える。 根も微妙に伸びて,ちょろちょろと地中に向かいはじめている。 おとなサボニムには,ほかにもまだ芽がついている。 次の代の葉っぱにも,これから芽になりそうな突起がある。 なかなか大変である。

Mon 18-May-2009

朝,研究室にてんとうむしがいた。 まったくもって元気なので, いましがた一緒に入ったか,かばんについてきたか。 窓を開け放ち,もっとよいところへ飛び立つのを待つ。

Fri 15-May-2009

サボニムは複数形である。 しかも,それが無限に増えていく気配である。 そこで,サボニムの数え方について考えている。 つい「1匹,2匹」と言ってしまうし,ややもすると 「ひとり,ふたり」と言ってしまう。 個人の範囲でどう数えようと勝手なのだが, 枯れたり傷んだりすると猛烈に辛くなるので, できれば植物なりの捉え方をしておきたいものである。 サボニムは葉っぱの盛り合わせという構造で, 何となく「1本,2本」とは呼びづらい。 ひとかたまりの個体だから,「1株,2株」でもない。 しかも芽の段階では「1個,2個」, あるいは「1つぶ,2つぶ」という風情であり, さらに少し経過して根をつけた段階では しばらく「1かけ,2かけ」という感じで推移する。 何とも捉えにくい。 しかたないので,「1さぼ,2さぼ」と数えることにした。 パルカは,複数の株に分けた上でひとつの鉢に植えてある。 デパルカについては ふたつのペットボトルに分かれていた2株を一つの鉢に入れ, さらにアッペ・ヨッペブラザーズが一緒になった。 このようになかなかややこしい構成なのと, 一部が枯れたときに悲しまないようにするために 鉢単位で数えることを検討したが, 実際に「1はち,2はち」と口に出して呼んでみると, 何かしっくりこない。 一方,株単位で数えるにしても, そのまま「1かぶ,2かぶ」だと,何だか味気ない。 普通に考えるなら,はるかちゃん株(パルカ,デパルカ)は 「1ぱる,2ぱる」と数えればよく, あえてデパルカを区別する場合だけ「1でぱ,2でぱ」 と言い分ければよいと思うのだが,そうなると みゆきさん株(パロアッペとパロヨッペ)についても 専用の数え方を用意しなければならない。 「1みゆ,2みゆ」か,それとも「1ぺ,2ぺ」か。 結局みんなパピルスなのだから, 単純に「1ぱぴ,2ぱぴ」とするのがよいかもしれないが, 寒い時には口が回らなくなりそうだ。 難しい問題である。

Wed 13-May-2009

サボニムが弱って色が悪くなり,一部の葉っぱが枯れた。 先端から溶けたような,気まずい傷み方である。 「サボテンは砂漠で生きるんだから」と 強い日差しを浴びせつづけたせいなのか。 あるいは,水をあげすぎたのか。 過保護モードにシフトするとともに, 水をたくさん必要としそうなハーブくんを別の鉢に移した。 デパルカをちゃんとした鉢に植えかえた。 頭を切ったペットボトルに植えられて来たのだが, けっこう大きいので,それでは手狭だったらしく, 我が家で数ヶ月を過ごすうちに根が伸びて, ボトルの中で籠状にからみ合っている。 添付の土は,育てた人が工夫して配合したもので, その中の粘土質の土や砂が根の間で固まっていた。 それをいったん洗い落として根の網をほぐし, 買ってきた土を加えた土壌に植えなおした。 パルカは市販の「花壇の土」そのまんまだが, デパルカの地面は粘土分のおかげで水もちがよい。 どちらがよいのかわからない。栽培実験気分で, それぞれ違う環境のままで試してみることにする。 別の人から, 地面ではなく,先端の穂から直接生えてしまった という「うっかりくん」をもらった。 土に植えてもなかなか根を張ってくれないのだが, とりあえずまだ枯れていないので, 少し空き地の多いデパルカの鉢に移して様子を見る。 小さな株が2株。 デパルカの脇に植えた株にパロヨッペ, 鉢の手前に植えた株にはパロアッペと名付けた。 ヨッペ・アッペの生えた元の株は, パルカと同じ植物種なのか疑うほど様子が違う。 パルカとデパルカも,同じ人が同じ種子から育てたのに その後のちょっとした経緯で,だいぶ違うものになっている。 我が家の環境の中で,今後,どういう展開を見せるのだろう。

Tue 12-May-2009

あっと言う間に全部「芽ではないもの」になっている。 「芽が無くなったなあ」と思っていたら, 地面に,またちっちゃな数本の芽が。 まさに new kids on the block。 サボニムの新芽については先行き不透明だが, それは様子見としておいて,その脇にハーブを植えてみた。 スーパーで買ってきた野菜に根がついているのがあったから。 こちらはどうなるかな。

Sun 10-May-2009

パルカは,タケノコのような芽を出す。 連休中に数えたところ,7本か8本の新芽が出ていた。 しかし,昨日見ると,4本しか確認できない。 今日になると,そのうち3本の先端が割れはじめており, まもなく「芽ではないもの」になる構えである。 全体としても,大きくなった鉢を覆い尽くそうとしている。 おまけサボテンは,サボニムと命名した。 当初,1〜3mmくらいの浮き草状の芽だけをもらってきた。 むしろ種のような,いや,落ち葉の切れ端のような そんな心許ない姿だったが,そのうち4個体が成長した。 専用の鉢に移植すると,そこでしっかりと根をおろして いまのような立派な姿へと成長した。 サボニムは,茎の先端から2枚ずつ葉っぱを伸ばし, いずれ下の方の古いのが衰え枯れるという生を営むようだ。 さらにこのほど,先端の葉っぱの縁に, 浮き草状の突起が出来た。 最初に来た芽はこのように生成されたものらしい。 やがてこれがポロっと落ちて地面に根付き, そしてまたどんどん増えるのだろう。 デパルカは,我が家に居残ることになった。 引き取り手となるはずだった人物が, 「自分も種から育ててみたい」と言い出したからである。 正式に「うちの子」となったので, 近いうちにちゃんとした鉢に植えかえる予定である。 ほかの鉢植えの木々も,先っぽや枝の途中に 愛らしい小さな新しい葉を出している。 当分の間,にぎやかな状況が続きそうだ。

Wed 29-Apr-2009

【今日は何の日?】  4(ヨウ)29(ニク)のごろ合わせから,  4月29日は「羊頭狗肉の日」とされています。

Tue 28-Apr-2009

風が弱まったので,パルカたちを日なたに出した。 だいぶ元気。 今回のお引っ越しに先立ち, 少し前にも植えかえを行なっている。 当初のヨーグルト箱から少し大きい鉢に移したのである。 その前後に芽を出したうちの1本がぐんぐん伸び, 当初目立って背の高かった先輩を追い越そうとしている。 どうも,成長を始めた時点の環境に左右されるらしい。 足許では,太い新芽がつくつくと顔を出している。 これらが育ったら,どんなふうになるのだろう。

Mon 27-Apr-2009

パルカはその後も(今のところは)元気である。今朝, 日当りがよかったので,鉢を室外(バルコニー)に出した。 しかし,まだ悪天候の影響が残っているようで,風が強い。 最初は風に吹かれておもしろがっているようにも見えたが, まだ根も茎もひ弱だから,やはりとても危なっかしい。 一時預かっている大きい株(デパルカ)は茎も根も丈夫だが, 背が高いわりに鉢が小さくて不安定である。 パルカと一緒についてきた「おまけサボテン」も根が浅い。 というわけで,総員退却。

Sat 25-Apr-2009

御岳山がいつもより近くに見える。 湿度や温度の加減か,あるいは北風が強いからか。 それにしても,まだ雪が残っているんだなあ。

Wed 22-Apr-2009

パルカの背がだいぶ伸びた。 根をもっと深く張らせる方がよいと考え, 大きい鉢を買ってきて植えかえた。 最初の頃に長くヨーグルトの箱で過ごした影響で, 小さく密集したまま成長し,放射状に茎が出ている。 そこで,ついでにいくつかの株に分けてみた。 株分けの際,ぶちぶちっという悲劇的な音がした。 後から園芸関連のサイトを検索して読んでみると, どうもかなりまずいやり方だったようである。 気を取り直してまた元気に繁茂してくださいな。

Mon 20-Apr-2009

引っ越し先に体重計を運び込み,久々の計量。 朝食前で69.2kg,昨日の朝食後で69.7kg。 それほど深刻な事態には至っていないようだが, きっと,何かあれば70kgを越えているのだろうし, 食生活などの面で不健康な状態が続いているから 要注意だなあ。 意識がぼやけていることもなかなか危険だ。 あとは命を落とせば三冠王, というくらいに重大な落とし物・忘れ物が続く。 慎重に慎重を重ねても,ふとした隙に事が起こる。 まずは,忙しさ・慌ただしさというものに 極度に弱くなっているようだ。 どうしたものか。 しかし,予定どおりに生きていく以上の策はない。 考えを紡ぎつづけることが何かをもたらすだろう と念じながら止まらず進もう。

Wed 15-Apr-2009

このような春の日に 急ぎ足で歩きながら見る ちょっとした草むらの野花が好きだ。 以前,10年ほどの間,愛知教育大学に車で通った。 毎週金曜日の刈谷までの道中, 田畑のまわりや住宅の敷地の片隅,あるいは道路脇, そんなところに伸びる草木を見ながら走った。 いいひと時だった。 授業は毎年夏場まで続いたが,記憶の中では 新学期の頃の春の日との連想関係が強い。 もう少しあとの時期には,田んぼの蓮華のおかげで 脇見運転を余儀なくされるものだった。 キャンパスの近所には,カキツバタ群落地がある。 見頃の時期は大混雑するので,近くを通りながらも 一度も行くことができなかった。

Tue 14-Apr-2009

中学・高校の頃, 南方熊楠,安藤昌益,三浦梅園に傾倒した。 その後それぞれとてもポピュラーになったが, 当時,少なくとも中学生や高校生にとっては ずいぶんマイナーな存在だったので, ゆーめいな思想家に染まるのとは違って 依拠してもあまり気恥ずかしくないところだった。 また,思考内容という面で学ぶのではなく, 著述・表現や思索の型という点に限って参考にした。 まず「安藤昌益段階」,次に「三浦梅園段階」 という具合に進行したが, その後,誰かを模範にするということはなくなった。 一つには,たとえスタイルだけの影響であっても, 他人に依拠すること自体がよくない,と自戒したため であるが,その後の自分の過程を見ると 何か範として仰ぐ対象を見つけるべきだったか, と時々思う。 たとえば,昌益・梅園の次は「熊楠段階」だった, という可能性もある。 しかし,南方熊楠に関心を持ったのは 時期的にも段階としても他の二者より前の まだ自分の指針が固まっていない頃のことで, 兄にその魅力を教えてもらったという経緯である。 どちらにしても,あのような行動や学風は 私の能力や志向・嗜好とかけ離れており, 模範にするのは無茶で,たぶん無意味だったはずだ。 まして,ほかに思い当たる人物は皆無だから, これでよかったということだろう。

Thu 09-Apr-2009

リッサンって,アルバムジャケットのロゴを見ていて 「李家の双子の兄弟だからリッサンか?」と思い至ったが, 片割れの姓はキルだし,親族ということでもなさそうだ。 ダビチも姉妹ではないらしい。 やはり名字が違うし,最初見て顔がソックリと思ったけど, 何となく似ているだけで,よく見るとだいぶ違う。 それにしても,なぜダビチ? フィレンツェ近郊のヴィチ村で生まれた ということはまずないだろうし, フランス領ポリネシアに属するソシエテ諸島東部にある島 にゆかりがあるわけでもなかろう。 謎が明らかになるまで, どうしてもダラビチ先生を連想してしまう日々が続くだろう。 そういえば,つげ義春の作品に出てくる「李さん一家」って, 今も離ればなれにならずに仲良く暮らしているのだろうか。

Thu 26-Mar-2009

浄化機構については30年前に考えをまとめていたなあ。 残すべきものは言葉ではなく思いだ,と。 思いははかなげに見えて,言葉と異なり,うつろわぬもの。 まずは言葉を己れの大気から洗い流すことだ。

Tue 24-Mar-2009

その地で展開する事象は 時に凄惨,しばしば幼稚で,総じて洗練されておらず, こちら側と比べると,泥土にまみれているように見られる。 しかし私はその地を歩くたび,不思議と澄みわたる。 この地に戻るとそのとたんに, いや,その地にあってもここの人々と関わるたびに, 瞬時に自分が濁るのを覚える。 私は幸福で,この地にあっても多くの良心に囲まれている。 しかしここは,成熟せずに老いてしまった者の王国だ。 彼らは「良識」と墨字で書かれた上衣をまとい 我欲我執の種殻を乾燥梅のような無表情の内に隠しながら 狭い地面を右へ左へと疾走する。 良心の雛鳥たちは路上の障害物でしかない。 その地には何かがある。 まず,その地では命が今も鮮度を保っている。 押し合いへし合いしながらも,血の通った挙動に満ちている。 もっとも,それだけならば 時の推移とともに失われる要因かもしれない。しかし 例えば老若問わず『ウォナンソリ』を見に集まる光景, おそらくそのあたりに,何かがある。 ロマンスもストーリーの起伏もなく, 自然礼賛,原点回帰などといったメッセージを わかりやすい形で振りまくわけではないその映画に, 言葉を弄することなしに入りこむ民衆。 それは何か,調整の過程のように思われる。 つまり,黄砂の襲来にも似た不条理の日々の過ぎた後に 自浄作用が働いているということではないか。 そうだ。 私が彼らを見て内にある澱を洗い流すというのではなく, まずは彼らが彼ら自身の手で浄化を行なっていること, そこに鍵があるのではないか。 要は気の純度にあるということだ。 それならば,浄化装置をこの地で探すか, あるいは外から得られないならば人為的に構築すればよい, ということになる。 そのためには,怒らない自分を造るのではなく, 怒ってよいから,そのかわりに,外に洩らさないこと。 洩らさずに怒れば,内で湿度が高まる。 湿度が高まれば,やがて雨が生じ, それとともに塵粉は流れ落ちて青・清・静が戻る。 雨は海の太源。 まもなく内心の大地の奥にしみ入って地下水脈となり, やがて湧き出でて川をなし,いずれ海を厚くする。 塵粉は大地を高くするかもしれないが, 川が再び削り,水を増した海がそこを覆うことだろう。 大丈夫だ。 思えば,7年前にも同じようなことを述べていた。 回り道をして戻ってきたのだなあ。 ただ,その後(というより最近になって) 内なる波を意識し,操作するという方策を知った。 それは再度の回り道を回避する秘訣だと期待される。 波には上がるところと下がるところがある。 その動きを見つめ,動きが滞れば自ら確保する。 上がれば,下げる。下がりすぎたら,上げてみる。 濁ったら,即座に塵粉を流せばよいのだ。 そして澄んだ時空を味わいながら,次の汚れを待つ。 また汚れれば,また流す。 それでよいだろう。 その振幅を維持すること, それが海の律動を準備することだろう。

Sat 21-Feb-2009

魔法使いはそのしわびた手で 騎士たちの剣をままごとの庖丁に変えてしまう。 シンデレラ城の鏡の間で 静かに夢を見て暮らすならば 微笑みに包まれて終わるだろうに。

Mon 26-Jan-2009

「土産子」とは,道産子の別表記であって, ハネムーンベビーのことではないのだそうだ。

Sat 24-Jan-2009

それは自尊心ではなく,過剰な自意識にすぎぬ。 そこに留まるのなら,自由への道は絶望的に遠い。

Wed 21-Jan-2009

《図書館情報学概論 定期試験予想問題》 問 BLとは何か。 1. やおい 2. 大英帝国図書館 3. 移動図書館

Tue 20-Jan-2009

風邪の治りが悪かった。 「がーっと高熱を出し,じゃぶじゃぶと寝汗をかいて一晩で一気に治る」 といういつものパターンに落ちなかった。 「微熱と喉の痛みだけなのに体調のアンバランスが延々と持続する」 という盛り上がらない経過である。 このように推移すると,調子外れのまま引きずるような末路が懸念される。 「極力まわりに波及させずに過ごし,そしてパタっと死ぬ」 という生のためには,ほどほどに精を維持する必要がある。

Sun 28-Dec-2008

安土桃山時代の日本の民衆は,宣教師たちがどんな言葉を用いても クリスマスの概念を理解できませんでした。 そこで,まずはクリスマス行事の定着を進めることにして, 贈り物の交換やパーティなどの側面に絞って指導を行ないました。 名称についても,あえて意訳せず,当時の日本語の中で近い音を探して クリスマスを「苦肉祭」と訳すことを考え,それと同時に 肉味の苦い七面鳥に着目し,聖夜にいただく食物として奨励しました。 七面鳥の肉は旨味が少ないため, 救世主の受難をしのぶ祭礼に適していますが, そればかりではなく,仏教の禁忌を避けることができることから, 日本人にとって抵抗感が少ないという利点があったのです。 こうした工夫が実り,日本でもクリスマスが 土着の民間習俗のように受けとめられるまでに至りました。 言うまでもなく,「苦肉の策」の語源となった故事です。

Sat 27-Dec-2008

もしもミトコンドリアが宇宙人の埋め込んだ地球人管理装置だったら。 もしもミトコンドリアが体内からぞろぞろ這い出してきたら。... ミトコンドリアのif。

Fri 26-Dec-2008

ミトコンドリアのクリスマス・イヴ。 今年こそは聖夜をアダムと二人で過ごしたい。そう願うも, 訪ねてくるのは悪性ウィルスと,それを追う白血球ばかり。 今夜も一人か。そうつぶやいて,ため息ひとつ。 細胞壁の外では,コレステロールが静かに降り積もる。 ... ああ,なんか,書いてて泣けてきちゃったよ,おい。

Thu 25-Dec-2008

『モザイクロペディア』 これも,多様なソースから文章を集めて構成した事典の一例である。 単なる切り貼りの域を越え,一貫性がよく保たれており, あたかも一つの美術品のようであるが, 各項目の重要箇所に必ずボカシがかかっているのが難点である。

Wed 24-Dec-2008

この心臓の鼓動が ドクンドクン ではなく ホドゥホドゥ という軽い音を響かせるようになるその時まで あと何日あるのだろう

Tue 23-Dec-2008

その日本語版は「うるサイクロペディア」または 「ウザイクロペディア」になるのだろうが,それはそれとして 「あちこちから文章を拾って切り貼りしてつくった事典」 については,「コピペディア」というのが実在するんだなあ。 ふむ。

Mon 22-Dec-2008

recyclopediaという語を思いつき,Yahoo/Googleで検索する。 英語ではrecyclopedia/recyclopaediaとも先例が豊富だが, 日本語表記(リサイクロペディア)の使用例は見られず。 まあそんなもんか。 英語の先例は数多いので,文面の分析までは行なっていないが, リサイクルや環境問題に関する手引き(何でも事典)のほか, 情報・知識(あるいは着想・考え)を再利用するための事典, あちこちから文章を拾って切り貼りしてつくった事典, などの複数の方向性があるものと推測できる。 bicyclopediaというのもけっこうたくさんあるようだ。 だいたいはみんな思いつくところなのだなあ。 それなら,「シックロペディア」はどうか。 シックロプタ(=うるさい)+cyclopediaで, 無駄に説明が長い上,版面(画面)に種々の書体や文字色が混在し, 全項目の末尾に,近頃の若者に対する小言が書かれているという。

Sat 13-Dec-2008

幼い時節を武蔵野の一角ですごした。 そこでは,泥といえばオレンジに近い茶色が普通だった。 未舗装道路の多い時代だったから, 雨が降ると路上のあちこちにその色の水たまりができた。 畑は黒土が覆っているのだが,少し掘れば,またオレンジ色。 赤土とか関東ローム層といった呼び名を知っても, それが普遍的な土の色だと考え,疑わなかった。 長久手や瀬戸では,窯業原料の鉱山以外でも,土が白っぽい。 畑までもが白いのを見ると,作物が心配になってしまう。 しかしここで育った人には,これが土の色というわけだ。 まして,こういう時代だから, 「土の色は紫」とか,「スカイブルーが当たり前」 という人が現れても驚かないことにしよう。

Fri 12-Dec-2008

昨日,1号棟で,片方てぶくろの落とし物を見つけた。 つづいて4号棟でも,同じ色の片方てぶくろが。 誰かが移動中に順次落としたのだな,と思い, 消火器の上に目立つように置いておいた。 今日になってもそのままだったので,拾い集めた。 泣き別れの手袋を引き合わせることができて嬉しい, と思ったのも束の間,合わせてみたら,微妙に違う。 どちらも白い糸のまじった黒の毛糸なのだが, 大きさや手首の部分が微妙に違っていた。 ちょっと残念。 どっちが1号棟でどっちが4号棟か, 今となってはもうわからないが, とりあえずどちらも学生課に届けてあるので 心当たりのある方はお問い合わせを。

Thu 11-Dec-2008

昨日朝,8号棟の階段を昇っていくと,黒いタイルに, この地特有の白っぽい泥の足跡が続いていた。 小さな獣の足跡。猫のようである。 寒い雨降りの夜,暖を求めて上がってみたのか。 階上の締め切りのドアの手前で引き返した様子。 休日に,ゴミ箱の中から出てきた猫と目があったことも。 何か食べられるものを見つけたらしく, 舌をぺーろんぺーろんしていた。 当人にとっては,自然で当たり前のことで,なによりも 食べ物を見つけて「嬉しい,やった!」状態なのだろうが, 見ている側には,複雑なものが残る。 その猫がそこにいることはよいことなのか, その猫にとっても,そこが安住の地なのか,どうなのか。 すべての猫が幸せになればそれが一番だが,そうもいかない。 しかしひとまず,今この先何日か,何時間か, いや何分かでもいいから, おいしいもの,楽しいもの,暖かいものに出くわして ちんまり嬉しくすごしてほしい。

Wed 10-Dec-2008

気持ちのよい朝。 天気は元気。 天の気はすべての源。 晴れているからではない。雨もまた愉し。 なぜなら,地の気は収束の場。 その邪気の群れも,やがてこうした雨の水に流され, 地に還るだろう。 地の上にあり,天を仰ぎ見て過ごそう。

Tue 25-Nov-2008

書かなければ。   書きたい。 書くべきだ。   どのように? それにしても,まずは思考を続けよう。   考えつづけよう。

Mon 24-Nov-2008

知識に対する誠実さ。 それが一番ではないか。それだけで十分ではないか。 水の如く在りたいと願う。

Sun 23-Nov-2008

尖った鉛筆で指を刺し,黒色の小さな傷が残る。 ずいぶん久々のことだなあ。 最近は,シャツの胸ポケットがボールペンで赤や黒に染まる, というのが日常の風景である。 中学・高校の頃,いつでもどこでもメモをとる習慣があった。 『知的生産の技術』などで知ったレオナルドの挿話の影響だが, いま思うと,真似たというより, 「そういうことをしてもいいんだあ」と思ったところがあって, 要は奇行について許しを得たような具合であった。 その後,自分の思考や学習のスタイルに応じてアレンジし, しかも度を超した状況へと進んでいった。 用紙として,当初はセオリーどおりB6判カードを使ってみたが, 不経済なのと,やはりスタイル上の問題から, 高校時代には大学ノートの隅から隅までを小さな文字で埋めた。 使い捨てタイプのボールペンを大量に消費した。 まずは出がけに胸ポケットに入れるが,まもなく手に持ち替え, そのまま指にはさんで国立の街などを歩きつづけるのだった。 今も,とくに道を調子よく闊歩している時など,ふと気づくと 右手の指がボールペンを持つような形になっている。

Thu 16-Oct-2008

テレスコって,実在するんだなあ。 >カブのテレスコ化 >小型・軽量化した電動式チルト・テレスコ調整ステアリング >テレスコ・ボートフック [16593A] - 5,576円 >有限会社テレスコ シャレで命名,というケースも含まれるのかどうか。

Fri 03-Oct-2008

バファリンのことを,パナマの人がブフェリンと言っていた。 英語音のまま広まっている商品も多かったが, わりとスペイン語流儀で読むケースが目立っていた。 英語の堪能な人たちでも,けっこうそうだった。 コルガテ ←Colgate コルゲート(歯磨き) アハックス ←Ajax エージャックス(洗剤)  ※CMでアハックス,ア〜ハックスと連呼していたので,   公認の現地音だったのかもしれない。 まして,日本語の商品名や会社名は難読が多いわけである。 トジョタ ←Toyota トヨタ コロジャ ←Corolla (トヨタ)カローラ ダツン ←Datsun ダットサン(日産の当時の海外ブランド)  ※このアルファベット表記を見せられれば   日本人含む全人類が普通そう読むはずなのに,異国の地で   「現地の人たちは,ダットサンのことをダツンと言う」   と聞かされると,皆一様にショックを受けたものである。 マスダ ←Mazda マツダ(旧東洋工業) ススキ ←Suzuki 鈴木自動車  ※ともだちの鈴木君も,「ススーキィ」と呼ばれていた。 ジャマア ←Yamaha ヤマハ イタチ ←Hitachi 日立 ナシオナル ←パナソニック,旧ナショナル/松下電器産業  ※これは変読ではなく,そもそももともとのスペルが   英語のNationalではなくスペイン語のNacionalである。   当時のシンボルマークも,「N」にかぶせた文字列が,   日本ではカタカナの「ナショナル」であるところを,   英語圏はNational,スペイン語圏はNacionalだった。 シティセン ←Citizen シチズン アヒノモト ←Aji-no-moto 味の素  ※ニンニク(ajo,アホ)入りの旨味調味料をつくって  「アホの素」と言って売り出したら叱られるだろうか。 そのほか,商品名や会社名ではないのだけど, パナマ市内に「京都」という日本料理店が開店した頃, 家族でタクシーに乗って,日本人だとわかると, 運転手さんが「クジョト,知ってる?」と声をかけてきた。 父母が何度か聞き返すうちに,「京都」だとわかった。 Kyotoを無理に現地読みしようとすると,そうなる。 東京はTokioという表記とともによく知られていたので, だれも「とくじょ」とは言わなかった。 「京都」にしても,その後は 「キヨト」という発音を聞くことが多かったと思う。

Thu 02-Oct-2008

「やさしさの成分の半分は,頭痛でできています」 だったっけ?

Mon 29-Sep-2008

ある事件の関連情報として,さる漫画作品が紹介されていた。 amazon.co.jpで検索して,つい,読者レビューを 1巻分から7巻分まで全部丹念に読んでしまった。 それで,よほど関心が高いと判定されたらしく,それ以降, トップページがその種の漫画の紹介で埋め尽くされるようになった。 専門書のページをいっぱい踏んで補正したのは言うまでもない。

Sat 27-Sep-2008

あ,そうそう,当ゼミにおいて, 引用の際の「〜としている」は使用禁止です。 論文添削の際に見つけたら, 「何しとるって言うんじゃ,  すかしとるんか,ほかしとるんか,  はっきりせんか,ごら」 と小一時間問い詰め(死語)ますのでご注意ください。

Fri 26-Sep-2008

毎度毎度「読書離れが叫ばれる今日」という定型句を聞き, 趣旨には一応賛同するところだが,しかしそこには, 誰がどこで何わめいているのか?などの問題が内在する。 主語と述語がかみあっていないし, 「叫ぶ」って,受け身形で使う動詞じゃないのでは。 「暗い夜道で女の人に声かけたら,叫ばれちゃってさあ」 なんて,やっぱり言わないよ。 とりあえず学生諸君には,無自覚に使用するのを止め, 「多くの者によって声高に指弾されている」 「激しく議論されている」 「盛んに取り組みがなされている」 という具合に,アレンジを試みてほしいものである。 願わくばもっと掘り下げて, 「一定の定義に基づいて活字離れと見ることのできる現象  または傾向が著しく進行しているということについて  警鐘を鳴らす者が多く見られる昨今」 とか。いや,警鐘を鳴らすという比喩表現が【以下略】 この種の(情報化社会と呼ばれる今日型の)定型句は, 二つの問題を含む。 「みんながそう言っている」と裏書きし, 「世の中」「趨勢」を根拠にものを言おうとしている。 しかし,適切な引用を添えない限り, それは「みんな」という仮想の怪物を背にした, 読み手に対する脅迫である。 第二に,枕詞のように使うところがまた曲者である。 自ら判断を下さないというだけでなく, 相手にも考えさせずに批判を免れようとする ある種高度な表現技法なのかもしれない。 ここのところは,最低線の措置として, 「現代は情報化社会と呼ばれる。(そして/しかし)」 という形にすれば, 自分にも読み手にも一定の思考を促すものとなる。 まあ,大概は特段の意図はなく, 「こういう出だしで書くと,本や新聞の文章みたいで  かっこうがつきそうだから」 とか,あるいは, 「そのような言い回しをとるのが模範的だ」 などという思い込みがあるのだろう。 ときに,「気象庁は注意を呼びかけています」と聞くと, いつも,気象庁庁舎の玄関前で職員がメガホンを手に 道行く人に声をかけている図を想像している。 事件報道で「関与が疑われる」などと述べるような時に 「疑いがもたれている」というのも,何だか気持ち悪い。 胸焼けするような疑念なら,抱かないのが身のためだ。 それと,だいぶ前のこと。 若いアナウンサーが十年前の出来事に言及したあと, 「あれから,もう一昔」と話を続けたことがある。 いや,「十年一昔」って,そういうことじゃないから。 決まり文句は概して,言わなくて済むもの, 言わぬが無難なもの。

Thu 25-Sep-2008

先週,スーパーに行ったら,バナナがなかった。 売り場そのものがなかった。 変だなあと思っていたが, バナナダイエットのために品切れ傾向との記事が。 ブームそのものは前から続いていたはずだから, このほどそれがある一線を越えた,ということか。 ブームを仕掛けた人々が非難されているようだけど, 権威という概念が根絶やしになった日本においては, それは批判ではなく,ただひたすら, 「こいつのせいにしてやれ」ということでしかない。 現象の表層を論じても事は収まらない。 結局,一事が万事だと思う。 病根は,この国民の全身に及んでいる。 目先の楽のために 他人の権利どころか自身の中長期の幸福をも捨てる。 そんな心性に,すべてが連綿とつながっている。 などと言っても始まらないので,とりあえず, バナナや納豆ではなく知識を食べて減量すべし, というところか。 そこで一句。   〜 スーパーの店頭で,活字離れを叫ぶ 〜

Mon 22-Sep-2008

朝食前水準で68.4kg。このところ大体こんな具合。 朝いちの体重を66kgくらいに落としたいところだが, もはやそうそう大規模な減量もできないので, とりあえず12月までにそのようにできるといいなあ くらいに考えておこう。

Fri 19-Sep-2008

電池が半日しかもたなくなったので,ケータイを換えた。 手にしっくりなじむし画面も綺麗だし,よい買い物だった。 適当なストラップが手元にないので, とりあえずやわらか戦車のストラップをつけた。 機械のデザインとあまり合っていないが, 机においたとき,戦車が必ずぴたっと着地するので, 不思議な心地よさがある。 画面はダヤン(たち)に占拠された。

Sun 31-Aug-2008

小さる日和の一日だった。

Thu 28-Aug-2008

朝食後で67.4kg。 激しい寝汗がなかったのにこの数字。 先日は66.8kgを記録したし,なかなかよろしい。 目立った運動も,厳しい食事制限もしていない。 昨日も,「大魔王ジョロキア」を一袋食べたりした。 今日のお昼もセブンイレブンの油そばだったりする。 まあ無茶食べをしたとしても,続けて無茶をせず, それなりにバランスのある食事構成を心がけているのと, 先日インド料理をいただいたこと,それから, ひとえに体調が安定してきたということなのだろう。 以前の姿を知っている人は「やせすぎだ」と言うが, これが標準体重である。 さほどアンバランスな体型でもないと思うし,何より これ以上無茶なやせ方をするつもりもないので, そっとしておいてください。

Mon 25-Aug-2008

6月頃の安定した状態をだいぶ取り戻したようだ。 回復に時間がかかったことは口惜しいけれど, まあ,もともとぎりぎりやっと獲得したものだったし, 今後もこういう振幅はありうるだろう。 何が起こっても慌てずに,徐々にでもリズムを戻す, という基本線を保つよう心がけよう。 流れを変えるべきではなく,変えられるわけでもない。 だがそうなると,陰の気が溜まることになる。 私自身が変わらずに生きている限り, 境界線での摩擦が避けられないからである。 かといって,私を変えることもできないが,それは 意思や感じ方は変わることがない(変えられない) ということであって,摩擦への対処は変えるべきだろう。 おおむね,摩擦熱が小さいうちに小さな振幅のリズムへと 力を吸収するという対処がよさそうだ。 でも,言うほど簡単ではなく,まだ追究の余地がある。 検討課題の一つは, 見下ろそうとする視線では自然は見えないことである。 そこで,自分がいかに低きに在るかを知ることが肝要だ。 しかし,自然は見上げるものでもない。 宇宙には上も下もないからである。 それに加え,自分もまた自然の一部である。 自然はありのままとありのままではないものの総計だが, 外部の流れを言うのなら,ありのままという概念だけでよい。 ありのままではないものを含むと強調するのは, 自分自身も自然の一部と考えるべきだという意と思われる。 そうなるとますます, 自然を見下ろすことも見上げることもできないとわかる。 結局のところ,自然に合一することが求められる。 その上で,自分を含むこの自然を見据えつづけること。 その「自他の自然を見る者」を自分の本体だと意識すること。 だいたいそんなところか。

Wed 20-Aug-2008

しばらく前から,自分の命について再考していた。 アカデミズムのなかの任を果たせるかどうかは怪しい。 ましてビジネスや知的遊戯と化した学術は私になじまない。 宗教人ではないから,聖なる使命も持っていない。 どうにも,自身の固有の流れに答えを求めることになる。 十代のひところ,究極の知を追い求めた。 しかしその過程で,知への渇望自体が知の妨げであると感得し, 知を越える方法論を求めた。 行き着いたのは,「常」という言葉だった。 大したものではなく,単に「普通」という意味である。 理知でも蒙昧でもなく,善も悪も追い求めず,美でも醜でもない 普通を是とし,万事,ひたすらなるように任せるだけなのだが, ひとつ重要なのは,「そこ」に没入しないことである。 自分を含む自然の流れをずっと見ながら過ごすこと。 ありのままを見るだけではなく, ありのままでないものをも,ひたすら見ること。-- 実のところ,とらえどころのない結論だったし, その頃から思考が停滞してしまったために突き詰めていないが, このところ思うのは,やはり今となっても(あるいは今こそ) それが自分の主要な課題であるということである。 荒んでいく情況を感ずるなら 「ここで一つ,世直しを」と志すべきところかもしれないが, そんな気概はないし,その前に,それがよいことだとは思えない。 大きな流れは変わるものではなく,そこで無理を押せば 自然にたわみが生じ,かえって事態は悪化するというもの。 それに,悪くなる一方かと思えば,ふと晴れ間が覗くこともある。 人世は,進歩しないと言っても退歩するようなものでもなく, 今にしても前よりよくなっている局面が多々あるわけで, だから,見捨てるべき俗世などというわけでもない。 ここにいて,こうして過ごしていることが一番よいだろう。 自然の流れに合一し,ほどほどのところで過ごしながら, わずかばかりでよいから,濁らない水を我が身に蓄えること。 そんな具合に,独り自分を整えて保つことはできそうだし, きっとそうすべきであろう。 そしてたぶん,それが私の使命だ。 こうして,だいぶ前に結論が出ていたということになると, 長期にわたって停滞していたことが悔やまれる。 しかしその間に,「珍しいくらいに普通」という概念を得たり, 一見するとハチャメチャで乱暴に見えて 血の通った生を営むという点で秀でた人々の姿を目にしている。 こうして,いくつかのヒントが得られている。 長年の停滞も,それなりの効用はあるようだ。 まあともかく,そろそろほどほどながらも,歩みを進めよう。

Mon 19-Aug-2008

生活を一新することにした。ミョンドンへと移り住む。 といっても,因子が大きく変わるわけでもない。 とくに,手に負えぬレベルの物品の多さを ここで解消できるわけではない。 その前に,移住できると確定したわけでもないが,ともかく 18年間に生活の場に溜まった目に見えぬ澱を洗い流し, 整った時空を構成・維持しようと思う。

Mon 11-Aug-2008

学びにおいても,似たような経緯をたどった。南方熊楠を真似て 中国・インドの古典を読んだり筆写することを始め, やがて安藤昌益や三浦梅園に没頭するようになった。 その後,「安藤昌益の発見」のようなことを夢見たりして, 古書店の床の土にまみれているような本を漁った。 質店協会の元会長の著した哲学書,とか。 しかし,このマニアックな行動,ひいては変人という名の人格を, 実は,もっと違う事業を進めるための隠れ蓑として用いていた。 まだ十代の少年である。普通に学ぶことは多くあった。 自身にも知識欲があったから,学校でも,自主的にも,多く学んだ。 しかし,主流のもの,人によく知られたものについては, 心には入れなかった。 それらは,他人に任せておけばいい。 それらは,言葉が言葉を生む世界の中で完結するものだ。 私は,そういう連鎖から離れ,独力で考え詰めようと思った。 小さくても,自分で足場から作り上げて考え抜いていきたい。 そう願った。 そのための補助として,マイナーな本を探したのである。 そんな経緯だし,そうした本は過剰な自尊心によって歪んでいたり, 往々にして独りよがりだったり世間知らずだったりするものだから, それらから学ぶということにはならなかった。 そうではなく,自分と同じように自ら考えようとする者を見つけ, 共感し,勇気を得た。 それは,ショーペンハウエルの読書論の自分なりの実践だった。 私はある時にそれに出会って救われ,そこから歩を進めたものだった。

Sun 10-Aug-2008

当時,漫画文化が成熟期を迎えて,多様多彩な作品が現れていた。 綺麗なもの,楽しいものがたくさんあって, 考えさせられるもの,考えさせてくれるものも多くなっていた。 何でもかんでも,大いに享受した。 話題の作品を必ず読み,世の流れについていくよう努めた。しかし, 「読めば楽しいが,気にかけるほどではない」と思える作品が多く, 読むという行為が「これは自分が読まなくてもよい」 と確認する作業となっていく。その中で,次第次第に, 静かに自分の世界を展開している作品に集中するようになった。 そして,ごく少数の,「それでも気にかかるもの」が残った。

Thu 07-Aug-2008

『トーマの心臓』は,何度も何度も繰り返し読んだなあ。 つくりこまれた彫刻のような作品世界が好きだった。 その後,マイナーな漫画を探索するようになった。 兄のおかげでガロ・COM系を早期にある程度読んでいたので, もっと違う,もっともっと変なものを探した。 制約をかけず,ありとあらゆるジャンルの漫画を対象とした。 レアというだけで,どうしようもない駄作もずいぶん手にした。 電車や自転車で,中央線沿いの古本屋をしらみつぶしに回った。 「まんだらけ」が開業する前で,漫画は消耗品という時代。 その中でも『ガロ』『COM』掲載作品は一定の評価を得ていたし, 貸本向け単行本も,相応の需要があったようで,古本市などで 1000円〜2000円くらいのけっこうな値段でさばかれていたが, それ以外の大多数は,バラバラの保存状態, いいものも悪いものもとりまぜてバラバラの値段, そして,たいがい粗雑な扱いを受けていた。 単行本はまだしも,雑誌は相当に厳しい状況だった。 そんな状況での収集は,なかなか大変な事業であった。 ところが,そのまま漫画マニアとなったわけではなかった。 どだい,私はマニア向きの性格ではない。 集めたものをきちんと保管・分類できないし, そもそも一定の活動を長く継続することができない。 マニアとして,根本的に適性が欠けている。 目的も,アイテム収集ではなく,作品を読む行為でもなかった。 この徹底した探索の過程そのものから何かを得て, 思考の道程を先へと進めたものだった。

Tue 05-Aug-2008

というところで,『腐女子とアジョシ』というのはどうだろう。 漫画家志望の少女と,自分のことは大体自分でできるおじさんが ひょんなことから一緒に暮らすことに。 韓国から来日して10年になるおじさんには,少女と同い年の息子がいる。 その息子が,ある日,奇妙な共同生活の続くその空間に ミーアキャットと洗濯物(自分の)を抱えて訪ねてきた。 玄関を開けたそのとき, ... 誰か続きを書いてください。

Mon 04-Aug-2008

水晶(1977)について。 だいぶ思い出してきた。 メインの「論文」は渾身ものだったのだが,こちらは 冊子に彩りを添えようと,編集段階で急ごしらえで書いたと思う。 仏教への憧憬や『月刊プレイボーイ』のインド紀行といったところが 影を落としているようだが,星だの宇宙塵だのといった付近は, たぶん,友人に紹介されて読んだ稲垣足穂の影響である。 稲垣足穂がちょうど流行(大衆化)しはじめた時期だった。 ある時期,漫画やCMなどあちこちで引用され,連鎖的に流行した。 流行したのは星関係の作品だが, 友人がおもしろがって紹介してくれたのは,『A感覚とV感覚』だった。 その当時,『ポーの一族』『トーマの心臓』が人気を集めていた。 男子が少女漫画を読むことがさほど特殊ではなくなっており, とくに萩尾望都は「文芸作品」のように広く読まれていたが, みんな「そっち方面」の意味でも面白がって読み, そうこうするうちに『風と木の詩』や『イブの息子たち』が発表された。 そんな中で,稲垣足穂へと進む。 そして我が校は,男子校。 なかなか危険な。

Thu 31-Jul-2008

埴輪は,何ともとぼけた顔をしている。 しかしその実,その目は黄泉の深淵に至る扉かもしれぬ。 という夢を見たのは,埴谷雄高作品集を手に入れたためだろう。   露と落ち露と消えにしわが身かな   埴輪のことは夢のまた夢 さて,「全集」ではないので,だいぶ分量は少ないのだが, それでも全16冊。 研究室はすでに著しく手狭なので,どこにどう置いたものか。 それから,分類はどうすべきか。文学なのか,哲学なのか。 発行年も大きくばらついているし,著者名は難読の部類だし, 新人カタロガー泣かせだよなあ。 以上,「死霊組織論」。   .............. うーん。

Wed 16-Jul-2008

概して身体能力が低く,走るのも苦手だが,歩くのだけは速い。 それは,国立の街の道路事情に関係がある。 少年期の6年間,東京都国立市の学校に通った。 当時の国立は,ごく普通の郊外都市という成り立ちだった。 ただもちろん,学生街という様相は色濃く, たまり場系喫茶店や左翼運動の出版物を扱う書店が散在し, 合間には紀ノ国屋などのおしゃれ要素も少なからずできていた。 中でも他の街との違いは,直線的な道路である。 碁盤の目状の街路網だけでも小都市には珍しかったが,それに加え, 南・東南・西南へと駅から3本の道が放射しているのが特徴的である。 市内を南北に貫く「大学通り」は,国立駅から,谷保駅付近まで続く。 国立駅をおりて,名前の由来である一橋大学を通り越す1kmほどの道のり を毎日歩いて学校に通った。 (ちなみに,谷保駅からも学校までだいたい同じ距離だった) 朝の通学時間帯には,その道のりを大人数で断続的な隊列をなして進む。 たまに(遅刻しそうなときに)タクシーで学校まで行くと, 自分より先に到達するはずの集団と校門で一緒になるので, タイムマシンを使ったような,別世界に来たような,妙な感覚があった。 思春期の特性上,ほかの歩行者(生徒たち)と互いに意識しあって, 歩調をずらしてみたり,早足になって追い越したりするのだが, 人が多い時間帯はそれが難しいし,一人になりたい時もあるので, ちょくちょく大学通りの東岸を歩いたものだった。 (学校は西岸なので,最後に信号を1個余分にわたることになる) 整備されたまっすぐの広い歩道,それも人通りが少ない側を闊歩する。 それで,自然と歩調が速くなるものだった。 だんだん調子にのって,まずは1kmを10分以内で歩けるようになり, しまいには7分台を目指した。 いまの足の速さは,そのころの鍛錬の賜物である。 なお,途中から,5kg〜10kgの重量級の荷物をさげて通うようになり (思考や着想を書きためたノートブックを毎日ぜんぶ持ち歩いた) 速度ではなく高負荷競争と化した。 それは腕力や腹筋にも寄与したが,かばんをいつも左手で持ったため, 右腕と比べて左腕だけ太く,持続力が高くなった。(背骨も歪んだ) ああ,「競争」と書いたが,それは不正確かもしれない。 その頃になると,まわりとの関係性ではなく 自分の思考世界に没入して日々を過ごすようになっていた。 ちゃんと学校に通うのだから,厳密には孤独だったわけではないが, 心象風景においては,基本的に,ずっと,一人だった。 それはさまざまな副作用(反作用)をもたらしたが, その状態で自分が最も安定していた。 後になって国立を訪ねた時,街の色彩がまったく違っていた。 少年期にあれだけ大きく思えた大学通りも,狭苦しく感じられた。 あの頃に戻ればよい,ということでもないようだ。 あのまま,あの速度を維持してさらに進んでいたとしても, 学校を通り越して谷保駅に着くだけのことである。 今歩いている道も,さほど悪くない。 あの頃の精神を呼び戻しながら,ここでこうして進んでいこう。

Tue 15-Jul-2008

クルミが「胡桃」の読み通りにならずに「ホドゥ」となるという件。 辞書は「ホドゥは胡桃の俗音」というような説明で終わっているし, 現代人の発音癖において「オ」が「ウ」に化けるということがあり, 頭をひねるような謎ではないのかもしれないのだが, でもちょっと思ったのは,   「豆」の漢字音(トゥ,ドゥ)が影響しているのではないか ということである。 実のところ,「胡桃」という漢字語は,変だ。 クルミを食べるだけの生活経験では,到底それを「桃」とは思えない。 コーヒーの実を見て「どこが豆なんだ,おい」と思ったりするのと逆に, 固い殻,または中身(仁)を見て「豆みたいだ」と漠然と思ううちに, 「豆(トゥ)」と「桃(ト)」の音の類似性も手伝い, 「ホド」から「ホドゥ」へと交代したのではないだろうか。 無理かなあ。

Mon 14-Jul-2008

古い映画を見ていると,中年男性がクルミを食べながら 「きみもホドを食べるか?」と言っていた。 辞書では,「ホド:ホドゥの誤り」と説明されている。 漢字語の胡桃の読みとしてはホドゥではなくホドが正解なのだろうが, 国語としてはホドは口語・俗用というところのようだ。 他方,葡萄(ポド)も,日本人の手にかかれば 数千年のうちに「 → フォド → ホド」と変化するので, どんどん何が何だかわからなくなってきたが, とりあえずレーズンとクルミの入ったパンはとてもおいしい。 上記の映画の作られた年,小鳩くるみは「たのしいクリスマス」 というレコードを発表している。 ふーん,「山口さんちのツトム君」って,小鳩くるみも歌っているんだあ。 え。山口百恵も歌っている,と。 「山口さんちの」というダジャレではなく, ライブで「たいやきくん」などと一緒に歌ったということらしい。 そういえば,先述のクルミ菓子の生地は,たいやきの生地に似ている。 一緒に食べ倒した家人は「今川焼の方が似ている」と主張するが, どのみち小麦粉で作るようだから同じようなものだと思いつつ ネットで検索するうちに,www.hoduhodu.comというのが見つかった。 おおおっ。何だかうれしい。 つづけて,クルミ菓子製造機械の専門メーカーが見つかった。 そういえば,パーキングエリアで売っているような様子も見られるから, マーケットは相当に大きいらしい。 なお,同社製品では,オプションでいろいろな形の型が用意されている。 標準的なクルミ形のほか,たいやき形のクルミ菓子も製造できるようだ。 うーん。だったら普通にたいやきにクルミを入れてほしいところだが。 それより,タコやエビの型はちょっとイヤだなあ。鯉もちょっと怖い。 かと思うと,ブドウ形も用意されているようで,また話がつながった。

Wed 09-Jul-2008

とめどなくダジャレを言いたい気分なのは, 「蒸し暑いから」ということらしい。 ただ,問題なのは,思いついた当座は天下を獲った気分なので, 自身はなかなか涼しくならないということである。 ところで,「フォドフォド」<->「ほどほど」という連想は, 小林旭の歌った「自動車ショー歌」を踏まえたものである。 「暗黙の前提」と位置づけていたが, この歌を知らない人も多いようなので,ねんのため。 というか,私と同世代の人でも,わりと知らないのだけど。

Sun 06-Jul-2008

気がつけば,最近,街がいつも白くけむっている。 でも,人影が全くないわけでもなさそうだ。 まずはそれでよしとしよう。

Sat 05-Jul-2008

息を荒げてはいけない。 だが,息を止めてもよくない。

Fri 04-Jul-2008

荒廃した情況を,あらためて目の当たりにする。 言葉が出てこない。

Thu 03-Jul-2008

先日の日記においてStanfordとOxfordが並べて書いてあったのは, フォード×フォードで「ほどほど」ということのようである。 自分でも今まで気づかなかった。 どうも,意識下までどっぷりダジャレ体質になっているらしい。 フォードといえば,パナマ時代,フォードLTDという車をよく見かけた。 豪華なフロントマスクと端正なテールとがうまく一体化したデザインで, なぜかベージュがよく似合うという印象である。 名前については,当時は漠然と, 「フォード社発売のLTDという変な名前の車」だと受けとめていたが, この場合の「フォード」はメーカー名ではなくブランドと考えるべきで, つまり「フォード社の出しているフォード車」なのだと,後で知った。 T型フォードの直系の子孫にして,当時のフォード社の中核商品であり, 同社製品として他にマーキュリーやリンカーン等の居並ぶ中のフォード, ということのようである。(文字で書くとまだるっこしいなあ) で,LTDはdeluxeとかbroughamとかと同じようなグレード名か,または 「ブルーバード シルフィ」「コロナ プレミオ」のような拡張子 というところで,いずれにせよおそらくはlimitedの略なのだろう。 友達のお父さんがフォードLTDに乗っていた。 学校友達のChuckの家の車だったような記憶もあるが, ボーイスカウトの所属隊のリーダー・Brianの家の車だったかもしれない。 日本人友達のお父さんは,シボレーのフルサイズに乗っていた。 たぶん,1973年型のImpalaのステーションワゴン。 シボレーといえばこういうのという固定観念があり, それと比べておとなしいデザインになっていたものだから 「こんなのシボレーじゃない!」としきりに思ったものだった。 子供の頃,上記(1959年型)のシボレーのミニカーを持っていた。 ずっと「つり目の車」と呼んでいたが,今見ると,宇宙人目である。 まゆ毛は,バカボンに出てくる目玉のつながったおまわりさん。 ところで,1973年当時のトヨタ・マークIIは,たれ目だった。 その少し前のスカイラインは,「怒った顔」だった。 昨今の車も可愛いし,人間くさいのや獣くさいのもいて楽しいけど, 素朴の時代のデザインは,力の抜けたような,代え難い魅力がある。 LTDは70年代石油ショックまで巨大化しつづけたアメ車の代表格である。 当時のいわゆるフルサイズのアメ車は ステーションワゴンであれば荷台に子供が横向きに寝ることができたし, その荷台を起こすと三列目のシートが現れて,驚かされた。 (ただし,この時期には日本車でも三列シートが試みられていた様子) 乗り心地はとろけるようにソフトで,夢を見ている感覚になったものだ。 アメ車が皆そうだったわけではなく,我が家のPlymouth Dusterは 妙に固いところと,妙にふわふわしたところの混在した乗り心地だった。 スポーツタイプだからか,大衆車だからか,クライスラー製だからか, 理由はよくわからないが,とにかくあまり好きではなかった。 父の勤務先の車はMercedes Benz 250(1972年か73年のモデル)で, こっちはもっと乗り心地が固く,大変に不満だった。 しかし,後から,実は一番体に心地よい感覚だったことに気づいた。 室内は「アメ車ほどだだっぴろくないが,そこそこ広い」という風情で, シンプルで開放的なデザインのお蔭で,容積以上にゆったりしていた。 車内のにおいとエンジン音が独特で, パナマの熱い大気とともになつかしく思い出される。

Sun 29-Jun-2008

15年ほど前に買ったスパイスセットを使ってカレーを作って食べた。 何とかなるものである。

Sat 28-Jun-2008

この日記は,《ほどほどを心がけて過ごす日々》の記録である。 ... はずである。 ところが,ファイル名はクルミを意味する語「ホドゥ」に由来する。 クルミは,魔物である。 岐阜県や長野県の山間部のドライブインや道の駅に立ち寄ると, よく,クルミをむいたのが袋詰めで売られている。 うっかり買ってしまったら最後で, 適当なところで食べやめることができず,大変に困った事態になる。 クルミの固い殻は,食べ過ぎを抑制する仕掛けなのかもしれない。 ソウル駅改札脇にできたみやげもの店で, 「クルミ菓子」という名の菓子を買ったことがある。 大箱しかなかったため,身に余る量を買うことになったのだが, これがまた素のクルミ以上に魔法値の高い代物で,結局, 移動中の列車内でほぼ完食してしまった。 とかく「ほどほど」は難しい。 ところで,そのシンプルな名称ゆえに, ちょっとした思いつきで作った商品だと思っていたのだが, 実は由緒のある菓子であることを後から知った。 そのまま,『標準国語大辞典』の見出し語になっているのである。 天安市の名物だそうで, 辞典で述べられている形状特徴が,食べたものとそっくり同じだった。 何だか嬉しかった。

Wed 25-Jun-2008

大学名の日本語訳。  水潭の渡し - Stanford  鬱屈の渡し - Oxford  兼務理事 - Cambridge 【要再検討】(ひねりすぎ)  融資盆暮れ,融資取得海鷂魚,住宅取得,笑む相手

Tue 24-Jun-2008

心身夢幻論。

copyright (c) 2008-2012 by Tomohide H. Muranushi