情報史に関して

(1999年3月5日記す)

 情報史に関する自分の考え方は,いちおう論文の形で発表してあります。

[01]村主朋英. 情報史のための枠組みと方法論. Library and Information Science. No.32, p.43-64(1994)
[02]村主朋英. 情報史研究の戦略:情報史における情報学史の役割を中心に. Journal of Library and Information Science. Vol.9, p.57-76(1995)

 しかし,私はまだ実際的な歴史研究には着手しておらず,これらはいわば「所信表明」です。また,丸善から1999年に発行された『図書館情報学ハンドブック第2版』「資料編:年表」も関連の仕事ではありますが,これは図書館情報学という分野の構造ないし枠組みを素描するというのが主目的であり,情報史に関する仕事としては,これだけでは不十分です。
 ただ,まずはこの年表を充実・発展させれば,「情報環境を操作することによって人類に作用してきた専門家・技術者とそのdisciplineを描き出したもの」は実現可能だろうと思います(年表というメディアの限界はさておき)。その上で,次のステップとして,そうした情報環境要因に囲まれて生きる人々を見たい。そして,人々を取り囲んでいる情報環境のダイナミズム(すなわち「生きた姿」),およびそれによって作用された人々の精神世界を叙述していきたいと思っています。それが私にとっての情報史のあるべき姿です。
 というわけで,これから,歴史研究の実践という段階に乗り出していくことになります。私は歴史学の畑で育った者ではなく,困難も予想されますが,情報学を生み出した図書館情報学の視点を忘れずに,なおかつ視野狭窄に陥らない情報史研究を何とか実現していきたいと思っています。


 先年,上記の2論文を発展させる形で,「情報史研究の枠組みと方法」という私的な文書を作りました。これはまだ出版するには至っていませんが,とりあえずその序論部分を公開しておきます。


0. はじめに

0.1 情報史と情報史研究における概念上の問題
 情報史とは情報に関わる諸事象に関する歴史であり,情報を人類社会の歴史の展開における主要因と考え,情報が社会の発達に与える影響に力点を置いてとらえたものである。そしてそれは,あらゆる情報の問題を扱い,それら諸問題を人類の歴史の全体の中に位置付けて描くという,新しい歴史である。
 図書館学研究者であるN.D. Stevensが1986年に提案した概念であり,学術上の要請としては「情報学のための歴史」と位置付けられる。彼は情報学には図書館学にとっての図書館史に対応するものがないと指摘し,情報史の研究によって,情報サービスや情報学と社会との関係を歴史的に探求することが可能になると述べている。
 Stevensの企図は,こうした情報学における歴史研究の確立という方向に留らない。彼はさらに進んで,「人類社会の歴史に関して情報を鍵として捉えなおす」という大きな構想を提示している。
 しかし,こうした説明では,まず対象が不明確であり,また「歴史」という語で示すものが不明確であるという問題が残る。
 もともと歴史という語の用法は,過去の現実世界そのもの,あるいは史実の集まりを歴史と呼ぶ場合もあれば,特定の主観において構成された歴史認識をいう場合もあるし,歴史研究の分野のことを「〜史」と通称することもあり,一定しない。英語のhistoryにおいても,同様の傾向がある。
 この問題の背景には,認識と事実の関係に関する認識論的問題や認識と表現との相互関連性といった,より困難な問題が控えている。しかしここでは,そうした問題に深入りせず,この歴史という語の多義性を踏まえた用語法を策定するに留める。
 情報史という語について,五つの用法が識別できる。「歴史認識(または歴史像)としての情報史」は,情報に関する歴史研究(「研究活動としての情報史」)の成果として得られる。そうした研究を行う領域は「研究領域としての情報史」である。歴史的事実(「史実としての情報史」)は歴史認識を通して見いだされる。そして歴史認識は,「記述としての情報史」というかたちで記録される。
 このうち,最後の方の「史実としての情報史」と「記述としての情報史」については,特に名称を与えない。そして,このほかの三つをそれぞれ順に,情報史・情報史研究・情報史研究領域と呼ぶことにする。
 これで「歴史」の概念についての実際的な解決はできた。残る問題は,対象の不明確さという点である。本書は,この問題を扱う。

0.2 情報史に対する本書の基本的な考え方
 上述のように,本書でいう情報史は,情報史研究によって得られる歴史像である。それは史実の羅列ではなく,ある一定の観点から見ることにより得られる,固有の世界像である。こうした考え方に立つ場合,「情報史研究の対象は何か」という問題は「どのように歴史を見るか」という問題に置き換えられる。
 情報史に対する見方には,いくつかの選択肢がある。情報史に関連する要因がきわめて多様であり,また情報に関する観点・枠組み・関心の度合いに応じて多様なアプローチがありうるからである。
 まず,情報史を単なる「情報の伝達・蓄積・検索メカニズムの歴史」と考え,それらの「進歩」ないし変化の過程を探求するというものがある。しかし,それだけではStevensの求めにあわない。
 これに対して,「情報の伝達・蓄積・検索システムが人類社会に及ぼした影響をたどる歴史」は,Stevensの求めには,一応は合致する。しかし,これは,情報現象を中心とした歴史ではない。まだ不徹底である。
 一般の歴史では,主役は政治システムと経済システム,および人間の政治・経済活動である。そうした舞台に,コミュニケーション・メディア(機器・手段),情報システム,情報サービス機関等を登場させることは,さほど難しくない。そのとき,情報は歴史を動かす要因の一つと位置付けられる。
 一見すると,これで十分であるように思われる。しかし,情報はあくまで脇役や小道具の役割を与えられたにすぎない。こうした枠組みの下では,情報の問題は,単なる各論のトピックでしかない。
 人間にとって情報は,きわめて基本的で重要な現象である。政治や経済に関わる現象よりも,むしろもっと身近な事象なのではなかろうか。そのことを考慮すると,情報をやり取りする人間や集団を中心とする見方の方が適していると判断できる。
 ここで,社会史の一環として情報の伝達と蓄積といった現象に焦点を当てるというアプローチが候補に挙がる。実際,商人・農民・職人あるいは為政者や学者といった個人を取りあげて,その意識・認識や言論活動といった側面を描くことは難しくないだろう。
 とはいえ,物体や生物によって緊密に構成されている世界の中に,情報などという要素を加えることは容易ではない。文献や情報機器,あるいはせいぜい人間の相互関係・相互作用に焦点を当てるという程度にしかならないのではないか。
 それに対して本書では,発想を根本的に変えて,情報を生成・送受信する主体の内的世界を中心に考えれば,情報の伝達や蓄積の問題にアプローチしやすくなるのではないかと考える。この発想の下では,情報史研究とは,われわれ人間が「認識主体として」住んでいる時空間,つまり主観的宇宙を対象とするものだといえる。言い換えれば,「認識主体としての人間にとっての宇宙」の探求が情報史研究である。
 ここで吉田民人の所論に言及しておこう。吉田民人は,宇宙には三つの種類の秩序(物質的秩序,広義の情報的秩序つまり物質の構造,そして記号的秩序)が累層化していると考え,その立場からこの宇宙全体に関する考え方の転換を企図している。そこで新しく提案されているのは,情報の概念を軸に宇宙を見直すという考え方(情報概念を中核とした新しいコスモロジー)である。この考え方に関して吉田は,物質的自然のみを客観的な現象と考える「唯物論的な自然観」に対して「科学的観念論」という呼称も用いている。
 さて,情報論に基づくコスモロジーは,このほかにも試みがあり,一つの動向を形成している。本書で提案する考えも,こうした動向の中に位置付けることができる。
 なお,こうした動向に浸っている限りは宇宙という語は比喩ではないのだが,日常感覚に戻ると,どうしても抵抗を覚える。また,本書でこの語を積極的に用いる必然性もない。そこで,以下では「宇宙」という語は導入せずに進める。

0.3 本書の目的と構成
 以上を踏まえ,情報史研究とは「われわれ人間の精神が知識を蓄えたり情報をやり取りする過程」を歴史的に眺め,描き出す営為であると見なす。その場合,情報史研究によって浮かび上がる「知識や情報の世界の自然」が情報史である。
 本書では,こうした定義を採用した上で,情報史の探求のための枠組み(あるいは世界観)と方法について,ひとつの考え方を提案する。
 本書の基本発想は,つぎのとおりである。

 ・情報史(情報史研究の対象)とは認知空間と情報空間とを合わせた総体である。
 ・認知空間は認識主体の内部世界である。これは,情報の集まりである。
 ・情報空間は認識主体にとって環境となる。これも情報の集まりである。
 ・認知空間と情報空間の双方とも情報の集まりであるから,それらの総体である情報
  史も情報の集まりである。
 ・ただし,情報現象は,当然ながら物質的機構や社会制度といった要因を基盤として
  成立している。このため,情報史つまり情報から成り立つ総体の探求は,物質的な
  いし社会的諸要因の分析を進めた上で展開する必要がある。

 本書では,このような基本発想に基づいて,まず第1章において,認知空間と情報空間という基本用語の定義から始める。そして情報史の全体像を捉えるための基本的な概念装置を示す。ただ,これは静態的モデルであるため,第2章において,人間等の活動の動因を考慮して,モデルを拡張する。つぎに,第3章においては,そうした性質を持つ人間等の存在の織りなす諸現象に関して,「矛盾」および「混沌」の概念を軸に考察する。
 こうした考え方を概説したあと,最後に第4章で,情報史研究の方法に関して論じ,情報史の記述を進めるための留意点に関して述べる。
 なお,本書の記述は,「著者の個人的な世界観ではないか」と指弾されるような面を有していることだろう。実際,本書に示した考えの原型は個人的に構築した理論体系である。しかし,元来,歴史研究は学術と文学の両面の顔を持つ。したがって,本書の考え方が個人に依存することを肯定的に考えて読んでいただきたい。むしろ,自分のために考えつめたものだからこそ,著者個人以外にも益する局面があるものと期待する。

copyright (c) 1999 by Tomohide H. Muranushi