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臼杵は、大分県東南部にある人口約3万6千7百人の城下町だ。城下町の歴史は、室町時代に九州一円に力を及ぼしていたキリシタン大名の大友宗麟が城を築いたことに始まる。大友氏の後、福原氏、太田氏を経て、慶長5年(1600)に稲葉貞通が美濃から入封し、明治の廃藩置県まで稲葉氏5万石の城下町として繁栄した。現在の臼杵の町並みは、この稲葉氏の時代に形づくられたもので、城址の西に、商家が建ち並び、その外側を武家屋敷や寺院が取り囲んでいる。
昭和58年に「全国町並みゼミ」が開かれた臼杵は、歴史的環境を活かしたまちづくりが盛り上がった地域と聞いていた。その契機となるのは、昭和50年に「臼杵保存修景研究会」が地元建築士会を中心に結成され、調査活動が始まったことだ。翌51年には「臼杵保存修景研究会」は青年会議所・臼杵史談会・自治会等を巻き込み「臼杵の美しい町並みを守る会」と組織変えし、町並み保存のための陳情書を市に提出する。また、昭和56年に「臼杵の美しい町並みを守る会」は「臼杵の歴史的景観を守る会」と改称し、歴史的環境を活かしたまちづくり計画の条例をつくることを市に訴え、市民活動が盛り上がりをみせ、これが「全国町並みゼミ」開催につながったという。
臼杵市役所都市デザイン課を訪ね、まちづくり関係資料をいただいく。市役所資料により、「全国町並みゼミ」開催以後の動きを要約したい。「全国町並みゼミ」の翌59年には、「町並み保存調査専門委員会」が設置され、地元まちづくりグループや建築士会などのメンバーにより、臼杵の町並み保存についての検討が始まった。時を同じくして、(財)観光資源保護財団による町並み調査が実施され、建築士会がこれに協力をする。そして、昭和60年に「臼杵市歴史環境保存基金条例」が制定され、景観整備を目的に、市民・企業・市費による基金づくりが開始された。また、昭和62年には「臼杵市歴史環境保全条例」が制定され、保全計画が策定された。さらに、平成3年には保全基準や補助基準などを定めた「臼杵市歴史環境保全条例施行規則」が施行され、建物の新築・改修・修復に対して補助金交付が始まった(平成12年末までの補助金交付は96件)。
昭和50年代後半からは、臼杵市による歴史的建造物の取得・整備・公開等が始まった。最初の事業は、海添地区にある武家屋敷・中島家長屋門の取得・整備であった。当事、中島家の取り壊し計画が持ち上がり、「臼杵の歴史的景観を守る会」は所有者に働きかけを行ったが、長屋門のみ残され、敷地は空き地となり広場として利用される道をたどった。次いで昭和62年には丸毛家屋敷の解体修理・庭園整備が始まる。さらに、昭和63年には旧臼杵図書館を歴史民俗資料館として活用することになった(現在、再び工事中)。
その後、平成に入ってからも歴史的建造物の買収と整備が進み、武家屋敷丸毛家の買収と復元・公開(平成2年)、旧臼杵藩主稲葉家下屋敷の買収と整備・公開(平成3年)、真光寺の買収(平成3年)、真光寺を活用した無料休憩所・市民ギャラリーの再生(平成4年)、吉丸一昌記念館の保存活用(平成5年)、直良信夫家の修理(平成7年)、旧平井家の修理(平成7年)、久家大蔵の周辺整備(平成11年)と整備事業が続く。同時に、「二王座歴史の道整備事業」も進められ、電柱の地中化(平成3年度)、石畳の整備(平成4年度)、案内板や街路灯の整備(平成5年度)が行われた。
また、保全地区では、「街なみ環境整備事業」(平成7年建設省認可)が始まり、平成8年に「街なみ環境整備計画」が策定され、平成10年度から工事に着手し、本町通りの電線地下埋設工事や石畳による道路美装化などが進められている。
臼杵市役所を後にし、臼杵城址から町並み歩きを始める。臼杵城址は、かつて丹生島と呼ばれた島であった。そこは、永禄5年(1562)頃、大友宗麟が城を築いた場所だ。四方を海で囲まれたこの海城は、先端に大きな岩があり、潮の満ち引きで、亀が首を出したりひっこめたりするように見えたことから「亀城」とも呼ばれ、東の先端部分は「亀の首」と言われるようになった。城址は、東から本丸跡、二の丸跡と続き、復元された大門櫓・畳櫓の北西に三の丸跡が置かれた。東の本丸跡からは臼杵湾を望むが、海を埋め立て官庁街がつくられているため、海岸線は遠のいている。
臼杵城址から旧稲葉家下屋敷に向かう。廃藩置県により城を失い東京住まいになった第15代臼杵藩主稲葉久通が、臼杵に帰って来た時に使う屋敷として明治35年に作られた建物だ。土塀の前の水路に鯉が泳ぎ、3500平方メートルの敷地と庭園は藩主御殿の風格を見せる。
旧稲葉家下屋敷の西には八坂神社が祀られており、神社の裏に臼杵川が流れている。臼杵のまちは、臼杵城址・臼杵川・二王座の山並みに囲まれた平地に広がりをみせる。町並みは、臼杵川に平行する掛町・浜町、住吉橋から臼杵城址に向かう畳屋町・本町、畳屋町南の田町、本町北の新町・唐人町、本町に交わる横町の8つの町から成り立っている。これらは「町八町」と言われ、昔、町家が並んでいたところだ。掛町は、川端の飲み屋街といった感じでスナックなどが多い。浜町は石畳舗装がなされ、木造2階建ての小料理屋などを目にする。掛町から浜町に向かう路地も石畳で、ここには野上弥生子記念館・小手川酒造・小手川商店(味噌・醤油)があり、古い町並み景観を残している。新町・唐人町も飲食店が多く並んでいる。畳屋町・田町は店が少なく、木造2階建ての仕舞屋が多い。横町は、久家本店(造酒屋)・和風雑貨の店「福々」・土蔵を利用した割烹「千扇」・白壁のパブ「ブーケ」など修景された建物を目にする。臼杵の商店街の中心が本町だ。本町では「赤穂屋」「うさぎ茶屋」「石田屋」「ふじわら(染と織)」「富士屋甚兵衛」「高村ふとん店」など修景された町家が目につく。
本町の南に位置する二王座は、寺町・武家屋敷が置かれたところで、昔の町並み景観を伝えている。ここは、「二王座歴史の道」として整備がなされ、臼杵を代表する観光スポットになっている。無料休憩所・市民ギャラリーとして再生された旧真光寺を中心に、直良信夫生家(明石人骨を発見した人)・武家屋敷渡辺家・古川歯科など古風な家が続き、周囲に切通しの道などがつくられている。
二王座と本町に挟まれた一角に「サーラ・デ・うすき」がある。これは、総務庁の「マルチメデァ街中にぎわい創出事業」の補助を受けて平成14年に生まれた中心市街地活性化の拠点となる複合施設である。「サーラ・デ・うすき」には、広場を中心に、市民ギャラリー・南蛮資料の展示コーナー・工芸の体験学習施設・観光情報商店街情報コーナー・行政サービスコーナーなどがあり、建物は臼杵のまちに調和する蔵づくりデザインになっている。また、「サーラ・デ・うすき」の前には、やはり蔵づくりのデザインの「臼杵CATVセンター」があり、情報化の拠点施設となっている。
歴史的文化遺産を守るとともに、新しい施設を伝統を活かしたデザインで街中に創出することにより市街地の活性化を図る試みは、臼杵のまちづくりの一つの結論であったのではないか。その背後には、昭和50年代から始まった地道な町並み調査活動や、地元建築士会・青年会議所・臼杵史談会・自治会等の臼杵の歴史的景観を守る市民活動があったことを見落すことができない。
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